寧々の眼から見る秀吉は、世間の評価とはだいぶ違っていた。 寧々にとって、秀吉は少しも恐ろしい人間ではなかった。きらめくように回転する頭脳と、それに優る実行力・・・・そのほかにもう一つ寧々が驚嘆しているのは底抜けの正直さであった。 世間では秀吉を権謀術数の権化
のように考えているらしい。が、それは全く違っていた。 思いがけない時にひどく冷たい水にふれると、人間は、知覚の錯倒
を来して、 「── 熱い!」 と叫ぶことがある。 秀吉を、権謀術数に長
けた人物と見る人々には、それと同じ錯倒が感じられた。 あまりにあけすけな正直さを見せつけられて、見せつけられた当人が戸惑ってゆくのである。 秀吉の場合には怒るときも真実だったし、すぐそのあとで、悪かったと肩を叩くのも真実だった。 「──
よくもこのような大言壮語を!?」 そう思うときも、それはそれなりに彼の信条で、至れり尽くせりの宣伝もまた彼の自信と歓喜の表現らしかった。 言い変えれば彼は、世間の人の正直観では計りきれない正直さを持っていて、しかもそれが小さな策謀や虚偽と比較にならない
「力──」 を発揮し得るものと、本能的に知っている人間らしかった。 それだけに、寧々も、自分の方に企
んだ陰気さのない限り、少しも遠慮はしなかった。 政治の事であろうと、対人関係であろうと、夫婦の愛情、母子の機微、何にでも堂々と口を出して、時には争い、時には、秀吉以上の淡白さで詫びてもいった。 そして、今ではそうした双方の赤
裸々 さが、程よい尊敬を持ち合える生活を築き上げたといえる夫婦であった。 その寧々が、良人のために朝日姫を口説
いて、一条の光を探り当てたのである。 探り当てると、寧々もまたふしぎな天分を持った才女であった。 彼女は良人が、寧々の今へやって来るとすぐに高飛車と思えるほどの口調で言った。 「関白殿下に、大きな考えおちがござりましたなあ」 「なに?」 今日は皇居造営のことで、何か気に障
ることがあったと見え、秀吉の訊き返し方は、いつもよりだいぶ尖ったものがあった。 「こなた、わしの職名を笑うのか寧々」 「いいえ、その名におしつぶされないような、背骨かどうか、太さを案じているのでござりまする」 「口の悪い女だ!
あしの背骨はな、見かけは細いが南蛮鉄じゃ。案ずるな」 「ホホ・・・・さ、早う殿下にお膳をおあげなされ。それから、酒
も持参するがよい。今宵は少し胆を大きゅうして貰うて、訊きたいことがある。早くしやれ」 侍女たちは困ったようにクスリと笑って、あわてて食事の用意にかかった。 みんな馴れているので、さして愕
いた様子はない・ 「呆れた女だ」 秀吉は唇をゆがめて嘆息した。 「それじゃから、もう女関白などと、あらぬ噂が立っているのだ。このデシャバリ出しゃばり悍馬
め」 |