寧々は、自分が憎くなった。相手に同じ女性としての同情を注ぐよりも、関白秀吉のよい妻であろうとする意識の方がはるかに勝って、ここでは、どうして朝日姫を説き伏せようかとしているのが、自分でハッキリと分るからであった。 (むごい兄嫁・・・・) と心で詫びて、しかしやはり後へは退けない寧々の気性であった。 世間では、秀吉に関白の宣下があると、寧々を
「女関白 ──」 とすぐに綽名
したそうな。誰の前でも秀吉に会えて譲らず、時には、 「── すがき藁の上で祝言したをお忘れになりましたか」 侍女やお伽衆
の前でもハッキリと決めつける。それが巧みなユーモアになっていて、決して秀吉を怒らせない。信長の正室で、眼から鼻へ抜けるような濃
御前 が、前田利家の妻の阿
松 と寧々だけは、女に惜しい生まれつきと口をきわめて褒め千切った才女であった。 それほどの才女だけに、朝日の心のうちなど手に取るように分っている。分っていながら無理にもここでは、良人の意思に従わせようと言うのだから、時々やり切れない気もするはずだ。 「のう湯治がよい!」 寧々はまた、身を乗りだすようにして言った。 「こなた様がご同意ならば、すぐにも上様に頼みましょう。なあ朝日どの」 「おいて下さりませ。わらわはどこへも出とうはござりませぬ」 「はて、それでは体が・・・・」 寧々は相手が賛成しないことなどよく知っていて、話の糸口を見つけようというのであった。 「有馬はここよりずっと涼しい。一日も早う体を治し、元気になったら思うこともしたいことも出て来よう。思うことも言わず、したいこともせぬようでは、こなたの立場はいよいよ苦しくなるばかり。お心のままに・・・・などと言わず、こなた様から上様をおどろかすような事言い出してやるがよい」 「お姉上様」 「はいはい。何であろう」 「わらわは、上様の言うことなど聞かぬつもりでござりまする」 「ではお心のままにと言われたのは?」 「食事を詰め、患うて死ぬ気なのじゃ」 「えっ!?」 と、寧々は大形
に声をあげて驚いてみせていった。それもこれも知りすぎるほど知っていながら・・・・ 「それはまた大それたこと! そのような事をうっかり口になされまするな。それこそ母上さまが仰天
なさろう。でも、よう打ち明けて下された。それはいったい、何ゆえでござりまする」 「このうえ生
き恥 はさらしとうござりませぬ。わらわが死んだと聞かれたら、家康どのもホッとなさろう。そのようなところへ、この年で・・・・いいえ、それも、まこと仕合わせを願うてのことならしらず、わらわを遣わして家康どのに油断させ、その上で滅ぼす所存と分っていながら嫁ぐなど・・・・この朝日にはできませぬ」 「ホホ・・・・」 寧々はおもしろそうに笑っていった。笑いながら、これが一人の女の心からの叫びなのだ・・・・そう思うと、胸の中をえぐられる想いであった。 |