人を説くにも叱るにも汐時
があった。 その汐時に違うては、かえって反感をそそるだけのこと・・・・と分っていながら、説かずにいられぬ立場の寧々であり、幸運すぎる寧々でもあった。 「──
政所さま、朝日どのは、食を減らして、そのまま日向どのの後追うつもりではござりますまいか。侍女たちの話によれば、ほとんど食事をとりませぬそうな」 寧々の妹で、浅野長政の妻になっているお屋々
が、そっと耳打ちしてくれたことがある。 お屋々に言われるまでもなく、寧々はその心配を、姑
の大政所にもよく聞かされていた。 それでわざわざ居間を、大政所と寧々の双方から見張れるよう、同じ局
の間において、折りあるごとに気を引き立てようと努めているのであった。 しかし寧々も女のことゆえ、自分の嬉しさ、得意さはつつみ切れず、時々ふっと気がつくと、気性に任せて押しつけがましい説得にすぎていることがある。 今も、それに気づいて口をつぐんだ。 朝日は出された茶を取り上げて、ぼんやりと動かぬ庭の青葉に視線を投げていた。 夏痩せ気味のせいもあろう、今まで、年よりずっと若く見えたのが、急にふけて影が淡くなっている。寧々の言葉を、 (また始まった・・・・) そんな風に、心で聞こうとしていないのがよく分った。 「朝日どの」 「はい」 「こなた様は、考えつめておられますなあ」 「・・・・」 「人間はどうにもならぬ気持ちはあるもの。では、いっそわらわから上様に、こなたの思案を取り次ぎましょうか。わらわはこなたを怒らしてしもうたような」 朝日はまたチラリと視線を寧々に戻して、 「無駄でござりまする」 と、沁み入るように吐息した。 「無駄とは・・・・上様がきき入れぬという意味であろうか」 「はい、上様は、もはや、昔の兄様ではござりませぬ」 寧々はつとめて柔らかく、 「それはのう、何と言うても関白という、重いご身分になられたゆえ」 「それゆえ・・・・何も申しませぬ。お心のままに・・・・でも、病には勝てませぬ」 「ほんに、その体ではどうなるものでもない」 寧々はわざと抗
わずに合い槌打って、 「何よりも健康が第一じゃ。いっそ上様にお願いして、有馬
へ湯治 にでも参りましょうかなあ」 良人の秀吉が、朝日の縁談を急がなくなったのも、この思いがけない妹の傷心
のため・・・・と、知っているだけに、寧々は改めて考え直さなければならなかった。 彼女の聞いているところでは、家康側には異存はなく、間に立った石川数正から、いつにても迎え取ろうという返事があったのに、朝日姫がこのとおりのゆえ、話の進めようがなくて困っているというのであった。 「そうじゃ湯治がよい!
母上さまもご一緒に三人で有馬へ旅して気を晴らそう。それがよい・・・・」 しかし、朝日は返事をしなかった。そっと茶碗をおいて、また放心したように庭に視線を投げている。 |