〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/05 (土) 誤 解 の 海 (十二)

なるほど、数正と作左の考え方には大きな開きがあった。
しかし、その悟りに違いがあるとは思えなかった。
作左は秀吉を、決して理想的な 「天下人てんかびと ──」 とは思っていない。その秀吉が力をもって家康にのぞんで来たものゆえ、徹底的の反発すべきであり、それでなくては何で家康の天下が望めようぞ、というのであった。
数正も秀吉に対しては作左と同じ考え方で、両者の間にさして違いはないのだが、いま、力をもってのぞんで来ている秀吉に、力で反発すべきではないと固く信じている。それでは自滅を招くこととなろう。そこで、時には反発し、時に和協もしながら時節を待つべきだと考えているのである。
おそらく家康もそのつもりなのだと数正は信じていた。
それにしても、作左の徹底した反発主義が分り、それを貫き通そうとしていることが分っただけでも、今日の訪問は意味があった。
(これで、わしの行方ゆくかた もハッキリと決まって来た!)
数正は作左衛門の盃に酒を満たしてやりながら、
「作左、思えば久しいつきあいであったのう」
作左は、答える代わりにじろりと三白眼さんぱくがん を数正の額にうつして盃をふくんだ。
「おれは取り消そう、おぬしは生涯怒って暮すがよい。淋しがれとはもう言わぬ」
「おう、天下がまことに平定するまでは、うかと怒りなど納めるものか」
「その代わり、わしも勝千代に、おにしのようなことは言いふくめぬぞ」
「フーム。殿と秀吉の間の、くさび になれとでも言いきかすか」
「そのとおりじゃ。それがおれの生き方じゃ!」
「腰の弱い・・・・」
作左は吐き捨てるように、
「こっちの腰が弱ければ弱いほど、秀吉は める男だ。おぬしは、生涯舐められて暮すがよいわ」
「これは、きつい挨拶・・・・が、それをおにしが分ってくれれば、それでよい。わしはわしの所信を貫く」
「フフフ・・・・」
「何がおかしいのじゃ作左は」
「言葉がおもしろい。弱さを貫く所信とは・・・・」
そこへ作左の女房が猪汁を運んで来たので、数正は口をつぐんだ。
「石川さま、仙千代が りました風越峠のいのしし でござりまする。今日はゆるりとお過ごしくだされまするよう」
作左衛門の女房は、二人の間の気まずい沈黙には気づかず、いまだに馬の飼料は自分で手ずからやるという、太い指をそろ えて、いかにも実直そうに数正に挨拶した。
数正はあわてて微笑を見せながら、
「このたびは、仙千代どのも、われらが伜どもと一緒に、於義さまの小姓として、大坂へ行くことになりました。お供はわれらがいたしまする。よろしゅう」
「はい。その事をうかごうて、主人も私も喜んでおりまする。して、ご出発は?」
「十二日、浜松を発ちまする。そのつもりでご用意を」
言いながら数正は、ふとこの妻女をからかってみる気になった。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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