「ただ強がるだけかと思うたら、わしの悟りまで罵
る気か作左は」 数正は殺気をおさえかねて向き直ると、 「ハハハ・・・・少しは腹にこたえたと見える」 作左は軽く一蹴した。 「のう数正、淋しいときには淋しがり、泣きたいときには泣く・・・・と言うと、いかにも大そうに聞こえるがの、それはじつは、時勢の険
しさから体を躱 そうとする小さな逃避じゃ。堂々とこの世のあり方に腹をたてて生き通せぬ、弱者の悲鳴、弱者のあきらめじゃ」 「なんだと!?」 「それそれ、そうして怒り通して暮らすことの方が、どれだけ勇気が要るか考えてみりがよい。フン、その勇気のない奴が、悟りじゃなどと、小さなところでおのれを偽り、おのれをゴマ化す。数正!
それは悟りでのうて、みじめな諦
めじゃ。この作左は、そうした嘘には安住はせぬ。もうちっと気も強ければ胆も太いわ。さ、一つ、呑むがよい」 そう言うと作左衛門は、眼を怒らしたまま数正に盃をつきつけて、 「まだまだ、まことの男が怒りを納めて、隠者
ぶった諦めの世界などに逃げてよいときではない。殿もときおりそれが顔を出すゆえ、そのつど、作左が口をきわめて罵るのだ」 数正は、わなわなと震えながら盃を受け取った。 (呆れた男だ作左は・・・・) この寸法で世渡りしたら、誰彼の見境なくみな敵に廻してゆくだろう。 危うく爆発しそうになった怒りをおさえて、 「それではおぬし・・・・秀吉とは、どこまでも争ってゆく心底
じゃな」 数正がきめつけると、 「むろんのことじゃ!」 と、作左は一考もせずに応じた。 「殿の眼の黒い間は、秀吉めを、どうして倒すか、ただそれだけを考えよと言っているのだ。秀吉一人を倒せぬほどで天下を望むなどおこがましい。力においても秀吉を凌
げ! さなくば、すぐに誰かに倒されて、平和の招来など思いもよらぬ・・・・と申しているのだ・・・・分るか数正」 「・・・・・・」 「それゆえこんどの人質にしても、秀吉の機嫌をとりにやるのではない。どうして秀吉を怒らせ、どうして秀吉を倒すか、そのために投じる貴重な一石
じゃ。おぬしもそのつもりで、伜どもによく言い含めてやるがよい。それを・・・・」 と、言って、また口辺に皮肉な軽侮の笑いを浮かべて、 「裸になれの、泣きたいときには泣けのと・・・・フン、数正もめでたい男じゃ」 石川数正は、ふしぎな事に、しだいに激昂
のおさまってゆくのを覚えた。 彼が考えていたよりも、作左の覚悟ははるかに徹底した 「秀吉憎悪」 に凝
り固まっている。ここで家康と秀吉を争わせては家康の不利と考え、そのために心を砕く数正とは、およそ違った表も裏もない一筋なものと分った。 (これはおそらく作左ひとりではなく、家中のすべての者の意志であろう・・・・) 数正は、そっと盃を乾して、 「作左、返そう」 そう言ったときには、これが、自分と作左の親しく酒盃を交わす最後になるのではあるまいかとふと思った。 |