〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/04 (金) 誤 解 の 海 (十)

いや、作左だけが痩せたのではない。こんどの問題では、数正自身もがっくりと痩せが目立っている。
それのしても、何という口に毒を持った男であろうか。
猪汁をご馳走し、酒を出してくれるほどなら、
「── こんどはご苦労だったなあ」
そのくらいのことを言ったとて、誰も作左は気が弱くなったとは思うまいに・・・・
「数正」
しばらくすると、作左衛門は、自分で高足膳たかあしぜん に酒器をのせて持って来た。
「汁はいま女房が運んで来るが・・・・おにし、おれの肚を読みあやま っているようじゃのう」
「なに、この数正が、本多作左の肚を読みそこ のうておると・・・・」
「そうじゃ、読み損ねておらねば、さっきのような言葉は出て来ぬものじゃ」
「おぬし、一人子を送り出して淋しくなろうと言った・・・・あの言葉に、まだ、こだわっておるのか」
「こだわらいでか・・・・淋しくなろうとは、何という言葉じゃ」
「強がるなッ」
と、数正も呆れて語気を強くした。
「淋しいときに淋しがったとて、それで何か、男の恥にでもなるというのか」
「数正!」
「なんじゃ」
「まあ一杯のめ・・・・わしはな、おぬしと心をあわ せて、於義さまやわが子を大坂へ送るのだと思うたら大間違いじゃぞ」
「ほう、すると、何を思うて送るのじゃ」
「おぬしの腰抜けさには腹が立ってたまらぬのじゃ。だが・・・・殿がその気で決裁なされた。それゆえ、全身の怒りをこらえて従うているまでじゃ。おにしのように忠臣ぶって策などろう しているのではない。誤解するなッ」
「なに、これはおかしなことを言うぞ」
数正は がれた酒を一口のんで、ぐっと肩を怒らせかけたが、
「まあよい。それならば、そうしておこう」
と、一歩譲った。淋しくないと言いながら、寂しさに耐えかねてのとが りと甘えであろうと察したからであった。
ところが作左衛門は、そうした遠慮をまたはげしく鼻先で笑い返した。
「数正との根性には、だいぶ開きが出来てしもうた。もう、おぬしに、おれの心は生涯分るいまい」
「またしても妙なことを、いったいどこが違うというのじゃ」
「おぬしはさっき、さびしいときに淋しがって、何が悪いと申したな」
「さよう、無理に強がったり、無理に涙をこらえたりしてみせるのは、無理に頭を下げて相手の機嫌を取り結ぶのと同じ衒いじゃ。若いうちならとにかう、われらの間では、あっさり裸になり合うてもよいではないか」
「それがおぬしの悟りか数正」
「そうじゃ、作左は少し肩肘かたひじ 張りすぎる」
「フン!」
「フンと言うて不服なのか」
「不服なのではない。あまりに浅い悟りゆえ軽蔑けいべつ しているのじゃ。思いあがるなッ」
「なに、軽蔑していると!?」
とうとう数正の顔色も変わった。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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