家康は苦い顔になって舌打ちした。 本多作左衛門の言うとおり、彼は、於義丸とその生母の、万
の方 には、あれなりひどく冷淡であった。 嫡子
の信康が、しきりに父子の間を打ち解けさせようとしたのだが、作左衛門の手を経て中村家から取り戻すとこんどは池
鯉鮒 の神官のもとに預けたりして、お愛の方の産んだ子ほどに愛そうとはしなかった。 それだけに家中では妙な風聞
が立ったことさえある。 家康はお万の方の貞操を疑っているのではあるまいかというのであった。 そんなことは無論なかった。 ただ家康が案ずるのは、信康の場合と同じように、自分の手もとで育てなかったことへの危惧
であった。 (子供は生まれよりも育ちによる・・・・) 自分の手元を離れた育った於義丸には、家康の心の通ぜぬところができていて、そらがまた信康のような、思いがけない失敗を招くことになるのではなかろうかと・・・ ところがその於義丸を秀吉のもとへ送らなければならなくなったのだ・・・・ そうなると、父としての責めを果たしていないのが、急に大きな自責
の種になって来た。 作左はそれを知っていて揶揄
うように笑うのである。 「殿のお心はな・・・・」 作左はいぜん皮肉な口調で、 「正月をこの城でさせさえすれば、於義さまが想いのままの人間になると思うてござる。おかしな話よ、なあ数正」 数正は静かに作左に向き直った。 「すると、作左どのは、われらと同様、すぐに於義丸さなを、大坂へ遣わすがよいと言われるのじゃな」 「ブルル、とんでもないこと!」 と、作左衛門は首を振った。 「われらは、このたびのことには腹を立てている。人質が養子になったくらいで、賛成などできる筋合いのものではない。まっ平ご免と、すぐに使者を追い返して、一戦ご用意あるよう・・・・と、これが、われらの動かぬ立場じゃ」 そこまで言って、作左衛門はまたニヤニヤと笑いだした。 「われらがいかに一戦を主張しても、殿が、それはいかん、秀吉にはとうていかなわぬゆえ、養子にやって機嫌を取ろうと仰せらるれば、この爺にも、何ともいたし方がない仕儀じゃが・・・・」 「分った!」 と、数正は作左衛門をさえぎった。 「おぬしは、いずれ、この数正を、腰抜けめと罵
る気であろう」 「さよう、この作左の眼の黒い間は、秀吉ずれに頭を下げてなるものか」 「殿!」 数正はもう一度作左衛門に大きくうなずいてみせてから、 「この数正が、お願いいたしまする。相手は一歩折れてご養子にと言われたもの・・・・この辺で、ご決断願わしゅう存じまする」 「年を越しては悪いと申すのじゃな」 「はい、それではお家の損でござりまする」 「損・・・・損のいわれは?
わしには分らぬが」 家康がそう言うと、数正はすっと胸をそらして睨
むように言いきった。 「年を越しましては、家中の者の無念さが、半減すると、お気づきなされませぬかッ」 |