「これはご苦労さまでした」 数正が家康に一礼すると、本多正信がまっ先に口を開いた。 「だいたい使者のご意向は分りましたので、ご返事のことをあれこれと相談し、ただいま決定したところでございます」 数正はすぐにはそれに応
えなかった。 一度しまった手拭でもう一度襟
もとを拭きながら、 「ひどい冷えゆえ、汗のあとがジクゾクいたしまする」 作左衛門にとも、家康にともなく話しかけてから、 「どう決まりましたので」 家康もまたそれには直接応えずに、 「岡崎へよって来たそうじゃの両人は」 「はい。それゆえあたふたと駆けつけました。それがしが訊き出したところと、ここでの事が相違していては一大事と存じまして」 家康はこくりとうなずき、 「正信、決まったことを数正に言うて遣わせ」 「かしこまりました。とにかく、正月もはや目の前に迫っておりますことゆえ、ここでは直答
を避けまして、来春早々、当方よりご返事申し上げる・・・・として、今日はこ酒宴のうえ引出物
を差し出し、一応このまま引き取っていただくことを決めましたところで」 数正はそれを聞くと、うなずく代わりにはげしく首を振っていった。 「それは拙
い!」 「と、仰せられると、何か、特別お身さまの耳に入ったことでも・・・・」 「耳へではない。心にひびいた事がある」 数正はぴたりと正信の口を封じておいて、家康に向き直った。 「筑前がご気性は殿もよくご存知でござりましょう」 家康は相手の語気が鋭かったので、そっと脇を向いて、 「知ってはいるが、・・・・しかし、直答は避けてもよかろう」 「直答ではござりませぬ。人質を出せと言われた返事が、今日まで延引
していた・・・・その後でござりまする」 「ふーむ、で、こなたはどうせよと言うのじゃ」 「即刻ご承知のうえ、正月は大坂城で迎えせせられたがよいと存知まする」 「ふーむ」 と言ったが家康は、それなり黙って可も不可も言わなかった。 「数正・・・・」 と、作左衛門が上半身を年寄りじみた曲げ方で、 「四人だけだ。べつに言葉を飾る必要もない。殿は、今ごろになって、於義丸さまに父親の責任を感じておられるらしいのじゃ」 「責任を・・・・?」 「そうじゃ。今まで殿は、於義丸さまにも、その母親にも、親らしいことは何一つしておわさぬ。それゆえ不安になって来たのじゃ。於義さまが大坂へおもむいて、秀吉に心から愛されたら、まことの親の冷たさに気がついて、逆に実父を呪
いだしはすまいかとなあ・・・・そうでござりましょうが殿? そこで、とにかく正月すぎまで、わしもこんなに可愛がっていたのじゃと、お側において思い込ませたい・・・・いわば、薄情さを取りつくろわねば手離せぬ、妙な親のぐちでなあ」 そう言うと、フフフッと肩をゆすって意地悪そうに笑っていった。 |