〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/01 (火) 誤 解 の 海 (一)

富田とんだ 左近さこん津田つだ 隼人はやと が浜松へ着いたのは十二月の二日であった。
両人は途中で岡崎へ立ち寄り、石川数正いしかわかずまさ と対談したうえで、浜松へ着き、本多ほんだ さく 左衛ざえ もん の屋敷へ入ったのだが、数正もまた両人のあとを追いかけるようにして浜松へやって来た。
家康いえやす が使者を引見いんけん する前に会って打ち合わせする必要があったからであったが、このことはすぐ渦中へのあやしい噂の波を立てた。
こんどの於義おぎ まる の養子一件は、すべて数正の画策かくさく によるものだというのである。
「── 聞いたか。於義丸さまの人質一件を」
「── うむ。人質に出すいわれなしと、反対する者が多いので、こんどは養子にと言って来たそうじゃ」
「── いや、その事ではない。その使者はまずもって岡崎へ立ち寄り、万事石川どのと打ち わせて来ているということだ」
「── それも聞いた。石川どのは、いったい徳川とくがわ の家臣なのか、それとも羽柴はしば 家の家臣なのか」
「── と、ここで言い出すのはおだ やかではない。しかし、羽柴筑前ちくぜん が、ひどく信用していることだけは確かじゃ。いったいおやかた は何と仰せられるかのう」
「── お断りなさるであろう。信康のぶやす さま亡き後は庶腹しょふく ながら於義丸さまが長子ちょうし 、家督のことご決定になってはおらぬが、当然第一に考えられるべきお方じゃ。それを人質で気に入らずば養子にせよ・・・・そんな口実でおつか わしなさることは万々ばんばん あるまい」
「── それがしが申しているのは、この事ではない。もしもお館さまが、お遣わしなされると仰せられたとき・・・・そのときそのまま黙っていてよいものかどうかと言うことじゃ」
「── われらはハッキリと反対するぞ」
「── われらも反対じゃ。この前の例もあるからの。信康さまご切腹のおりのような」
「── ふーむ。あのときの、当方から信長公へのご使者はおお 久保くぼ 忠世ただよ どのと、酒井さかい 左衛さえ 門尉もんのじょう どのであったが、いずれも、今もってお館の心に一点のしこり・・・ を残しておわす模様もよう じゃからの」
「── とにかく一度、みんなで石川どのに、こまかい事情の説明を求めてみるか」
「── といって、あの石川どのが、素直にわれらに、はら など打ち明けて語るごじん ではないのでなあ」
問題は秀吉ひでよし の申し出の気に入らぬことにあるのだが、それがいつの間にか秀吉に信頼されているということで、石川数正にすり変えられているようであった。
今日も、本丸の重臣だまりに集まった連中は、その事だけを話題にして、ともすれば数正への疑念を匂わしてゆくのである。
そうした風評を、数正自身はむろん知らぬはずはなかった。しかし、岡崎からみぞれ まじりの雨をおかして駆けつけて来ると、数正は控の間で着替えをすまして、そのまま重臣溜りには顔を出さず、家康の居間に通っていった。
家康の居間には、八ツ半 (午後三時) に使者を引見するため、本多ほんだ 正信まさのぶさく 左衛ざえ もん 重次しげつぐ とが詰めていて、数正が入ってゆくと、ぴたりと話を中止してこれを迎えた。
数正は、その場の空気の冷たさを全身に感じながら、
「いやはや汗をかきました。やはり、ご引見の前に駆けつけようと存じて」
時刻は九ツ半 (午後一時) になろうとしていた。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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