満珠・千珠の小島は、長府宮崎の串崎城跡の高台からの眺望が一番良い。串崎城は毛利氏が防長二州に滅封され、長府に入った毛利秀元によって再建されたものだが、一国一城令によってこわされた。その城の石垣がいまでも残っている。城山と関見台にはかつて砲台があったというが、忘れられたようになっているその跡は、かえって歴史の旅情をさそう。 赤間神宮は戦災を受けて寝殿以下ほとんど消失したが、戦後復興された。竜宮城を思わせる白壁に朱塗りの水天門は昭和三十三年の造営だ。四月二十四日の先帝祭には上臈
たちの参拝にちなむ外八文字の道中がくりひろげられるという。 八歳の幼帝は、二位にい
の尼あま に抱かれて千尋ちひろ
の底に沈み給うた。二位の尼は 「波の底にも都の候ふぞと慰め参らせ」 たというが、赤間神宮の竜宮造りは、その水底の都にちなむものであろう。 神宮の隣の阿弥陀寺陵は安コ帝の御陵だ。もともとここには阿弥陀寺という古刹こさつ
があったが、幼帝の遺体を境内に奉葬して以来、勅願寺となり、明治維新の廃仏毀釈はいぶつきしゃく
以後、神社に改まったという。 水天門をくぐって石段を登り、大安殿の前に立つ。左手の宝物殿には有名な 「平家物語長門本」 などを展覧してあるが、その裏手が七盛塚と呼ばれる平家一門の墓だ。前列に平有盛、清経、資盛、教経、経盛、知盛、教盛ら七盛の塚が並び、後列に、平時子らの墓がつらなっている。 七盛の
墓包み降る 椎の露 虚子 その塚の前に年老いた一人の女性がぬかずき、数珠を手にしながら何やら口誦しているのを見かけた。旅の人とも思えない。平家にゆかりの人なのか。投身しそこない、助けられ、生き残って遊女となった女官も少なくないという。なにやらふしぎな感興をさそわれる光景であった。 七盛塚の墓域の手前、右手の一角に小さな芳一堂がある。耳なし芳一の話しは、ラフカディオ・ハーンの
「怪談」 で有名だ。阿弥陀寺に住む盲目の琵琶法師のあまりにも入神入神にゅうしん
の妙技に平家の亡霊たちも、ぜひ聞きたいと思い、壇ノ浦合戦のくだりを所望する。 芳一は最後に耳をもぎ取られてしまうが、これは目も見えず耳も聞こえない芳一の姿に、心眼に徹し、心耳に通じる人の思いを仮託したのだろうか。そこには妖しいまでのロマンの影が揺曳ようえい
する。 安徳帝入水の場所は御裳裾川の沖合い三百メートルのあたりだといわれる。二位の尼の辞世 |