〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 の 旅 ──
 

2013/03/19 (火) 御 裳 裾 川 周 辺

満珠・千珠の小島は、長府宮崎の串崎城跡の高台からの眺望が一番良い。串崎城は毛利氏が防長二州に滅封され、長府に入った毛利秀元によって再建されたものだが、一国一城令によってこわされた。その城の石垣がいまでも残っている。城山と関見台にはかつて砲台があったというが、忘れられたようになっているその跡は、かえって歴史の旅情をさそう。
赤間神宮は戦災を受けて寝殿以下ほとんど消失したが、戦後復興された。竜宮城を思わせる白壁に朱塗りの水天門は昭和三十三年の造営だ。四月二十四日の先帝祭には上臈じょうろう たちの参拝にちなむ外八文字の道中がくりひろげられるという。
八歳の幼帝は、二位にいあま に抱かれて千尋ちひろ の底に沈み給うた。二位の尼は 「波の底にも都の候ふぞと慰め参らせ」 たというが、赤間神宮の竜宮造りは、その水底の都にちなむものであろう。
神宮の隣の阿弥陀寺陵は安コ帝の御陵だ。もともとここには阿弥陀寺という古刹こさつ があったが、幼帝の遺体を境内に奉葬して以来、勅願寺となり、明治維新の廃仏毀釈はいぶつきしゃく 以後、神社に改まったという。
水天門をくぐって石段を登り、大安殿の前に立つ。左手の宝物殿には有名な 「平家物語長門本」 などを展覧してあるが、その裏手が七盛塚と呼ばれる平家一門の墓だ。前列に平有盛、清経、資盛、教経、経盛、知盛、教盛ら七盛の塚が並び、後列に、平時子らの墓がつらなっている。
  七盛の 墓包み降る 椎の露    虚子
その塚の前に年老いた一人の女性がぬかずき、数珠を手にしながら何やら口誦しているのを見かけた。旅の人とも思えない。平家にゆかりの人なのか。投身しそこない、助けられ、生き残って遊女となった女官も少なくないという。なにやらふしぎな感興をさそわれる光景であった。
七盛塚の墓域の手前、右手の一角に小さな芳一堂がある。耳なし芳一の話しは、ラフカディオ・ハーンの 「怪談」 で有名だ。阿弥陀寺に住む盲目の琵琶法師のあまりにも入神入神にゅうしん の妙技に平家の亡霊たちも、ぜひ聞きたいと思い、壇ノ浦合戦のくだりを所望する。
芳一は最後に耳をもぎ取られてしまうが、これは目も見えず耳も聞こえない芳一の姿に、心眼に徹し、心耳に通じる人の思いを仮託したのだろうか。そこには妖しいまでのロマンの影が揺曳ようえい する。
安徳帝入水の場所は御裳裾川の沖合い三百メートルのあたりだといわれる。二位の尼の辞世

「いまぞ知る 御裳裾川の 流れには  浪の下にも 都ありとは」  

に、ちなむものだが、現在では国道の下をくぐり、暗渠あんきょ を通って磯に流れる小川にすぎない。
そのあたりにはわずかの漁か家があったようだが、文久・元治の攘夷戦で、砲台を築くために立ち退きとなった。源平合戦の古戦場であるとともに幕末の攘夷戦の戦蹟でもあるのだ。そういえば阿弥陀寺には奇兵隊が一時駐屯したこともある。尊攘志士たちのパトロンだった白石正一郎が、赤間宮の初代神官だったというのも、興味ぶかい・

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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