〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 の 旅 ──
 

2013/03/07 (木) 白 峯 陵 の 玉 ず さ (二)

崇徳上皇が崩じられたのは木ノ丸御所だ。都からの宣下せんげ を待って白峯に葬られたが、その間、遺体は野沢井の清泉に浸されたままだったという。亡くなってからも崇徳上皇は厳しく扱われた。
そのためかどうか柩が白峯の山裾にあたる高屋の阿気まで運ばれた時、にわかに雷雨となり、人々は雨のあがるのを待ったというし、その折、柩の中から血がしたたったともいう。崇徳上皇はその出生からして奇数名運命にあった。実父は白河法皇。実母は白河帝の孫に当る鳥羽上皇の妃璋子だったし、十八年間の在位中も鳥羽上皇の勢威におさえつづけられ、ことごとにその意志は無視された。
そして配流中に心血を注いだ五部大乗経の写経も、都近くに置くことを許されなかった。
「新・平家」 の中で、配所を訪ねた平康頼に崇徳上皇が大喝し、以後生きながら天狗になられたという風説が流れたと述べてあるが、都人たちは、怨みをのんで死んだ崇徳上皇のたたりを恐れた。白峯山頂にある頓証寺は保元の乱で崇徳上皇と対立した後白河上皇が寄進したものだが、それも鎮魂の意味からだった。
御陵に近い白峯寺は四国八十一番の札所でもあり、巡礼姿の参詣人も少なくない。しかし私が訪ねたのは初冬だったので、さすがに人の気はなかった。その境内に玉章木たまずさのき がある

鳴けば聞く 聞けば都の 恋しさに  この里過ぎよ 山ほととぎす
崇徳上皇は都をなつかしみ歌を んだが、ほととぎすは以後、葉を口にまいて忍んで鳴いたとう。この樹の葉は玉章に似ていることから、恋する男女が懐に入れると好い便りを得ると説明してあった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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