「新・平家物語」
は 「保元物語」 「平治物語」 「源平盛衰記」 「義経記」 などを縦糸とし、 「玉葉」 「吾妻鏡」 などの史料を横糸に、現代的解釈をほどこした古典 「平家」
を骨子にすえ、ゴブラン織に仕上げた歴史的大河小説である。従って古典 「平家」 の書き直しでもなければ、新解釈を強調するものでもなく、戦禍の中に生きる人々 ──
天皇から庶民までの浮き沈みの姿を、歴史の流れに従って描きあげた作品だ。 しかも 「新・平家物語」 執筆当時の時代色をいきいきと反映している点で、吉川英治のいう、
“後鏡としての文学” の特質を、遺憾
なく発揮している。その意味では十五年戦争をくぐり抜けた読者の共感を得る要素が濃い。連載中から圧倒的な人気を集め、 「週刊朝日」 の百万部突破を実現した理由も、そこにあった。 第一巻の
「ちげぐさの巻」 は、その表題が示すように、平家一門がまだ地下草であった様態からはじまり、平清盛が二十歳になった保延三年春から筆をおこしている。袈裟御前の夫である源渡や、そのライバルの遠藤盛遠、後に西行となる佐藤義清など、北面の武士たちとの交渉を通して、若き日の清盛の鬱屈うっくつ
した青春を描き、骨肉に対する愛と憎しみを物語るが、そのあたりにすでに作者の主要なモチーフがひそんでいる。 私もこの 「新・平家物語」 をたずさえながら、その舞台を旅し、作者の思索と創造のあとをたどってみたい。幸いに作者には
「新平家今昔紀行」 といった文章もあり、二重三重の興味をそそられる。しかし京の周辺には、ほとんど筆をおよぼしていない。これはおそらくあまりにも事蹟が多く、そこにスペースを取られるのを避けたためであろう。 冒頭、平太清盛が父の忠盛から、
「また塩小路などを、うろうろと道草くうて、帰るでないぞ」 と注意されるくだりがある。この塩小路は現在の京都駅前あたりらしい。そのわんわん市場は、あたかも錦小路のにぎわいを連想させるが、これはおそらく
「新・平家物語」 の想を練っていた当時、戦後の闇市から着想したのであろう。 |