人々は顔を見合わせて誰からともなく嘆息した。家康の覚悟はもうみんなにわかり過ぎるほどよくわかっている。 たとえば江戸が、人間の住むに耐えない土地であったとしても、諸将の家族まで、すでにそれぞれ故郷を出発し、あるいは出発しかけているはずであった。 家康が正式に関東移封をふれ出したのは七月二十日。 順次に諸将を小田原へ呼び返して、それぞれ帰国の上、移封の準備をするように命じてあったからである。 むろんまだ小田原の残党も多いことゆえ、諸将は国もとにとどまることなく、移転の用意を終わると早急に帰って来た。 中には、すでに戦い取った前線の城に取って返しているものもあり、今日、ここへ集まっている者は、八月一日を期して家康と共に江戸入りをするはずの人々であった。 「それがしが入城する前の話では・・・・」 と、また戸田三郎右衛門が口を開いた。 「江戸城はご本丸に、二、三の丸が揃うていて、難攻不落の名城という話でした。しかし、その噂は百年も前の話で、現在はもうご本丸だの、二の丸、三の丸などというしろものではござりませぬ。それぞれの間にとてつもない空濠が雑木の生えるに任せてあり、往来も自由でないうえに、床張りの箇所も少ない土間の古家・・・・雨漏りはするし、煤
けてはいるし、厨 (台所)
などは敷き物も腐り果てておりまする。もっとも、そのような体たらくゆえ、関白殿下もお逃げなされて、お寺を宿所にしたのでござりまするが・・・・」 そこまで言うと、それまで黙っていた大久保忠世が、 「すると、そこもとは、まず城普請が先決じゃというのじゃな」 みんなの問いを代表する形で口を開いた。 「いいえ、それは上様のご存念にあること、われらは、ただご命令によって実状を申し述べましただけにござりまする」 「奥平
どの、いかが、思われるな」 本多忠勝がポツンと言った。 「もはやそれぞれの家族は故郷の城を出て、寺々へ泊り込んでいるかも知れぬ。気の速い者は出発して旅にかかっているであろう。殿のお情けで移転の費用は余るほどに下された。しかし行く先の江戸がそれでは、女子供は着いても泊るところもござるまい。そうではないかの」 「されば・・・・しかし、そのあてがつくまではこの小田原にとどまることも・・・・」 家康の婿の奥平信昌が言いかけると、本多佐渡があとを引き取った。 「その後心配はご無用に願いたい。とにかく火急の事ゆえ、充分とは参らぬが、榊原どのが先行なされて宿所の儀はご配慮下さる手はずでござる」 「ご配慮下さる・・・・と、言われたが、そのような葭原
では手の下しようもござるまい」 「いや、城のすぐ近くとは参らぬが、寺院も幾らかはあり、民家も四方になくはない。それらを仮のねぐら
として、早々に街作りに取りかかる。それにご重臣方のご家族は、それぞれ所領の地におむむかるれば、別に城も陣屋もあることゆえ、江戸の地へご住居なさるとは限りませぬ。大切なことはその荒れ果てた江戸の地へ、誰よりも真っ先に上様がお入りなさる・・・・そのお覚悟のほどでござりまする」 そこまで言うとまた酒井忠次が白髪を震わして口を出した。 「佐渡どの、誰もお許
に訊いているのではない。慎しまっしゃい!」 |