〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/14 (火) 江 戸 の 本 心 (三)

人々は顔を見合わせて誰からともなく嘆息した。家康の覚悟はもうみんなにわかり過ぎるほどよくわかっている。
たとえば江戸が、人間の住むに耐えない土地であったとしても、諸将の家族まで、すでにそれぞれ故郷を出発し、あるいは出発しかけているはずであった。
家康が正式に関東移封をふれ出したのは七月二十日。
順次に諸将を小田原へ呼び返して、それぞれ帰国の上、移封の準備をするように命じてあったからである。
むろんまだ小田原の残党も多いことゆえ、諸将は国もとにとどまることなく、移転の用意を終わると早急に帰って来た。
中には、すでに戦い取った前線の城に取って返しているものもあり、今日、ここへ集まっている者は、八月一日を期して家康と共に江戸入りをするはずの人々であった。
「それがしが入城する前の話では・・・・」
と、また戸田三郎右衛門が口を開いた。
「江戸城はご本丸に、二、三の丸が揃うていて、難攻不落の名城という話でした。しかし、その噂は百年も前の話で、現在はもうご本丸だの、二の丸、三の丸などというしろものではござりませぬ。それぞれの間にとてつもない空濠が雑木の生えるに任せてあり、往来も自由でないうえに、床張りの箇所も少ない土間の古家・・・・雨漏りはするし、すす けてはいるし、くりや (台所) などは敷き物も腐り果てておりまする。もっとも、そのような体たらくゆえ、関白殿下もお逃げなされて、お寺を宿所にしたのでござりまするが・・・・」
そこまで言うと、それまで黙っていた大久保忠世が、
「すると、そこもとは、まず城普請が先決じゃというのじゃな」
みんなの問いを代表する形で口を開いた。
「いいえ、それは上様のご存念にあること、われらは、ただご命令によって実状を申し述べましただけにござりまする」
奥平おくだいら どの、いかが、思われるな」
本多忠勝がポツンと言った。
「もはやそれぞれの家族は故郷の城を出て、寺々へ泊り込んでいるかも知れぬ。気の速い者は出発して旅にかかっているであろう。殿のお情けで移転の費用は余るほどに下された。しかし行く先の江戸がそれでは、女子供は着いても泊るところもござるまい。そうではないかの」
「されば・・・・しかし、そのあてがつくまではこの小田原にとどまることも・・・・」
家康の婿の奥平信昌が言いかけると、本多佐渡があとを引き取った。
「その後心配はご無用に願いたい。とにかく火急の事ゆえ、充分とは参らぬが、榊原どのが先行なされて宿所の儀はご配慮下さる手はずでござる」
「ご配慮下さる・・・・と、言われたが、そのような葭原よしわら では手の下しようもござるまい」
「いや、城のすぐ近くとは参らぬが、寺院も幾らかはあり、民家も四方になくはない。それらを仮のねぐら・・・ として、早々に街作りに取りかかる。それにご重臣方のご家族は、それぞれ所領の地におむむかるれば、別に城も陣屋もあることゆえ、江戸の地へご住居なさるとは限りませぬ。大切なことはその荒れ果てた江戸の地へ、誰よりも真っ先に上様がお入りなさる・・・・そのお覚悟のほどでござりまする」
そこまで言うとまた酒井忠次が白髪を震わして口を出した。
「佐渡どの、誰もおこと に訊いているのではない。慎しまっしゃい!」

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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