〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/13 (月) 東 へ の 道 (七)

秀吉は、家康の胸中を鋭く見抜いている眼つきであった。
頬にはいぜんとして笑いとも見れば見得る皮肉な影が動いている。
「のう、大納言」
「はい」
「氏直父子を誤らせた張本人・・・・重臣の中での責任者は、誰であろうかの」
家康は再びハッとして、
「されば・・・・」
慎重に首をかしげながら、ホッと大きく嘆息したままであった。
「やはり、家格、年齢から言って大道寺だいどうじ 政繁まさしげ であろうな。官兵衛はどう思うぞ」
家康は答えなかったが、官兵衛は、足を投げ出すような横ずわりのままで、
「大道寺でござりましょうな」
と、しぐに応じた。
「では決まった。降伏と申さずに和議と申せ官兵衛。それがせめてもの北条五代へのはなむけ じゃ。秀吉からの和議の条件・・・・よいか、氏政、氏輝は切腹のこと!」
「氏政、氏輝は切腹のこと!」
滝川雄利はびっくりしてが黒田孝高は、いかにも当然といった様子で復誦ふくしょう した。
「それに、年寄り大道寺政繁、並びに松田憲秀はこれも切腹」
「は?」
と、滝川雄利は身を乗り出すようにして、
「あの、松田憲秀も!」
「そうじゃ。主家の大事の瀬戸際に、敵に内応するような人非人にんぴにん を許しては、秀吉の人事にしめし・・・ がつかぬ」
「はッ」
「と、言うのはしかし、表面の理由じゃ滝川」
「表面の理由・・・・?」
「まことは、そうして切腹させてやるのが秀吉の情けじゃ。主家のために計ろうて、裏切り者の汚名に甘んじよう・・・・わざわざそう決心したものを生けおくはかえって不愍じゃ」
「相わかってござりまする」
「それから当主の氏直じゃが・・・・」
そこで秀吉はチラリとまた家康を見やって、
「申し出神妙につき高野山へ退いて謹慎のこと」
きびしく言って言葉を切った。
こんどは黒田孝高がニヤリと笑って家康を見た。
家康はため息を押えた。ついに彼は一言も口を挟まなかったが、秀吉は彼の心を察しきっている様子だった。
「のう大納言、これでお身に異存はあるまい」
「さすがに殿下、いささかもご無理の節はござりませぬ」
「そうであろう。そうのはずじゃ」
秀吉は初めて笑って、
「高野山へ謹慎というても、韮山の氏規、岩槻の氏房、氏那うじくに などはみな連れて行ってもよいと申せ。そうじゃ、切腹した年寄りどもの子もお構いなし、これもみな連れて参るがよかろう」
黒田孝高はフフフと笑った。
「すると、改めてお取立てなさる前に、扶持ぶち がのうてはなりませぬなあ。そのような大人数では喰うてゆけぬ」
それは、秀吉に言うよりも、家康に聞かせるための言葉のようであった。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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