滝川雄利の眼に、開城を申し出てきた氏直の姿がことのほか哀れに映ったのに違いない・・・・と、家康は思った。 それにしても、自分の身の切腹だけで事が済むと思っているのであろうか。そのような時はすでに過ぎた。やはり氏直の考えも甘いと言うよりほかにない・・・・そう思ったときに、秀吉は雄利に次の問いを発していた。 「弟の氏房は、何か言ったかの」 「はい。兄と心を協
せて城内の者どもを恭順させ、決してお手向かいはいださせませぬと・・・・」 「それだけか」 「それだけか・・・・と、仰せられますると?」 「兄と共に切腹するとは言わなんだか」 「はい、そこまでは、それがしもただしはしませんでしたが」 「念が足りぬの」 「で、ござりましょうか」 「足りぬ」 秀吉は、ちょっときびしい語気になって、 「事は父の氏政の生命にかかわることじゃ。兄弟そろって切腹いたしますれば、老父の生命だけは・・・・とは言いそうなものではないか」 「は・・・・」 「それを言わぬところを見ると、孝子は氏直一人ということじゃ」 「・・・・」 「して、松田憲秀はことは申さなんだか」 「申しました。憲秀は、池田どの陣中へ内通のことがあったゆえ、召し捕りはいたしましたが、一族の評議が開城と一決いたしましたれば、処分は見合わせてあると申しました」 「ほう、なぜ裏切り者を処分せぬ。そなたは、それをどう思うぞ」 「憲秀は、いわば殿下への忠を志した者、討ち取って殿下の怒りにふれてはと、当方への遠慮から処分しかねているのでござりますまいかと」 「大納言」 秀吉は、とつぜん家康をかえりみてニヤリと笑った。 「お身も別に、松田に内応するようすすめはすまい」 「はい」 「官兵衛、おぬしもせぬなあ」 「はい、別に松田の内応など必要といたしませぬゆえ、いたすはずはござりませぬ」 「そうであろう。わしはむろんそのような裏切りなどすすめはせぬ」 そこまで言って、秀吉は、ふと眉根に皺を寄せた。 「ハハア、松田め、苦しまぎれに考えおったな。どうもそのようじゃな大納言」 「御意」 「そうじゃ。そうだとすれば不愍なところもあるが・・・・よし、滝川、そちのもとへ来たのだから、そち、官兵衛と同道して行って答えてやれ」 「はッ」 「氏直が申し出殊勝につき、秀吉はこれを聞き届けつかわすが・・・・」 秀吉は言葉を切って、もう一度チラリと家康を見た。 家康は表面平然として秀吉を見返しながら、内心ではひどく狼狽しだしていた。 (ここで秀吉が何と裁断を下してゆくか・・・・) 下されたらすべては終わるのだが・・・・そう思いながら口をさしはさむ隙がなかった。 (娘のため、何か一言言ってやりたいのだが・・・・・) |