〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/12 (日) 東 へ の 道 (五)

秀吉も孝高も、北条氏直の降伏は、もはや規定のこととしているので何のおどろきも示さなかった。
しかし家康は別であった。
婿の氏直が、追い詰められて、どのようなことを申し出るのか?
いた、それよりも、関八州移封のことが決定してしまっている今となっては、北条氏の後始末は、そのまま家康の将来の方針に影響する。
出来得れば家康は、北条氏の家臣をそっくり扶持してやりたいほどなのだ。
信長が武田家を滅ぼしたとき、家康はこっそりと武田の遺臣を拾いあげた。そして、それはみな好い結果をもたらしている。
家康は、秀吉と孝高のあとからやぐらを降りて行きながら、ちらりと小田原城内にあるわが娘、督姫すけひめ の顔を思い浮かべた。
(これでいよいよ姫も後家になったか・・・・)
男たちもまだ血の香から解放されなかったが、女子おなご もまた大きな波にもてあそばれ続けている・・・・
「昨日、城内の松田憲秀が陣から、池田輝政てるまさ がもとへ内応がござりましてな」
「おう、早川口から味方を城内へ誘い入れると言って来たあのことか?」
孝高と秀吉は歩きながら大声で話し合った。
「はい、あのことが、すぐさま氏直に露見しましたようで」
「ほう、では松田め、困ったろう」
「はい。あっと言う間に氏直の手で捕らわれたげにござりまする」
「やれやれ泣きっ面に蜂とはそのことだ」
「それで、いよいよ城内でも最後の評定・・・・大体こちらの考えたとおりのようで」
「よしよし、およそは聞かずともわかっている。後は滝川に聞くとしよう。こっちが滝川よりよく知っていては、滝川が張り合いなかろう」
「そのことでござりまする。それがしは黙っておりまするゆえ、上様、お心のままに」
家康は二人の会話で、これもハッキリと成り行きは理解できた。
(松田憲秀の芝居かも知れぬが・・・・)
そうは思ったが、それにしても遅きに失した。
その意味では 「小田原評定 ──」 は永遠に無決断の代名詞として笑い話に残るであろう。
やぐらを降りて木の香の新しい大広間に入ってゆくと、滝川雄利が、永徳えいとく の描いた一間ぶすまの牡丹の絵を背にして、真四角に坐っていた。
「おお、たびたび大儀であった。氏直のもとから申し入れがあったとのう」
秀吉は、家康をうながして座につきながら、
「氏直ならば、直接大納言のもとへ参りそうなものじゃが、どうしてそちの方へやって来たのかまあ聞こう・・・・」
「申し上げまする。本早朝、氏直どの、ご舎弟の氏房どのを伴われ、それがしの陣屋へお立ち越えでござりました」
「ほう、氏房と二人で来たか。そして何と申したの」
「氏直どのは、殿下のご命令あり次第、いつにても切腹いたしますれば、城内の者にはご憐愍れんびん をと・・・・」
雄利は、ふっと語尾を まらせて一礼した。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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