秀吉も孝高も、北条氏直の降伏は、もはや規定のこととしているので何のおどろきも示さなかった。 しかし家康は別であった。 婿の氏直が、追い詰められて、どのようなことを申し出るのか? いた、それよりも、関八州移封のことが決定してしまっている今となっては、北条氏の後始末は、そのまま家康の将来の方針に影響する。 出来得れば家康は、北条氏の家臣をそっくり扶持してやりたいほどなのだ。 信長が武田家を滅ぼしたとき、家康はこっそりと武田の遺臣を拾いあげた。そして、それはみな好い結果をもたらしている。 家康は、秀吉と孝高のあとからやぐらを降りて行きながら、ちらりと小田原城内にあるわが娘、督姫
の顔を思い浮かべた。 (これでいよいよ姫も後家になったか・・・・) 男たちもまだ血の香から解放されなかったが、女子
もまた大きな波にもてあそばれ続けている・・・・ 「昨日、城内の松田憲秀が陣から、池田輝政
がもとへ内応がござりましてな」 「おう、早川口から味方を城内へ誘い入れると言って来たあのことか?」 孝高と秀吉は歩きながら大声で話し合った。 「はい、あのことが、すぐさま氏直に露見しましたようで」 「ほう、では松田め、困ったろう」 「はい。あっと言う間に氏直の手で捕らわれたげにござりまする」 「やれやれ泣きっ面に蜂とはそのことだ」 「それで、いよいよ城内でも最後の評定・・・・大体こちらの考えたとおりのようで」 「よしよし、およそは聞かずともわかっている。後は滝川に聞くとしよう。こっちが滝川よりよく知っていては、滝川が張り合いなかろう」 「そのことでござりまする。それがしは黙っておりまするゆえ、上様、お心のままに」 家康は二人の会話で、これもハッキリと成り行きは理解できた。 (松田憲秀の芝居かも知れぬが・・・・) そうは思ったが、それにしても遅きに失した。 その意味では
「小田原評定 ──」 は永遠に無決断の代名詞として笑い話に残るであろう。 やぐらを降りて木の香の新しい大広間に入ってゆくと、滝川雄利が、永徳
の描いた一間ぶすまの牡丹の絵を背にして、真四角に坐っていた。 「おお、たびたび大儀であった。氏直のもとから申し入れがあったとのう」 秀吉は、家康をうながして座につきながら、 「氏直ならば、直接大納言のもとへ参りそうなものじゃが、どうしてそちの方へやって来たのかまあ聞こう・・・・」 「申し上げまする。本早朝、氏直どの、ご舎弟の氏房どのを伴われ、それがしの陣屋へお立ち越えでござりました」 「ほう、氏房と二人で来たか。そして何と申したの」 「氏直どのは、殿下のご命令あり次第、いつにても切腹いたしますれば、城内の者にはご憐愍
をと・・・・」 雄利は、ふっと語尾を詰
まらせて一礼した。 |