家康はホッとした。 秀吉に自分と違った着想があり、それを強
いられることになると、ここでは抗
い得なかった。 祖父代々で培
った東海の地ならばとにかく、今まで何のゆかりもない関東の地へ乗り込めば、当初は、北条氏の残党をはじめとし、四方はみな敵と思わねばならなかった。 その中で、秀吉と争うようなことがあってはそれこそ永遠に秩序は立つまい。 秀吉は、家康の手腕が関八州を治めるに足らぬと見てとったら、すぐさま裏で扇動者
に変わるであろう。現に佐々
成政 は、九州の新領で、一揆を理由に取り潰されたうえ、自害してのけている。 家康がホッとすると、秀吉はいよいよ上機嫌にはしゃぎだした。 「さすが大納言!
江戸とは見上げたものじゃ。あの地は京に対する大坂と全く同じ。絵図で見てよくわかる。陸からは無数の水路でまもられ、海に大きく口を開いている。これからはよい津
(港) を持たねばその地は大きく発展せぬぞ。いや、江戸はあらゆる意味で、東の大坂、その地相をそなえているわ」 「それがしも、そのように心得ましたので・・・・」 「これで決まった!
決まったぞ大納言。あの地にわしの大坂城を見なろうて、大きな城を建てるがよいわ」 秀吉は、とぼけた表情で煽
りたてながら、内心では感嘆もし、ほそく笑んでもいた。 (江戸に目をつけるとは、凡手ではない!) 感嘆はそれであり、ほそく笑んだのは、それを立派な城下街
と津に仕上げるための辛労
を想うからであった。 堺から京の商人たちまで自在に動かし得る秀吉ですら、大坂の城にふさわしい街造りには覚えのあるほど骨を折った。 (それを家康がどのように成し遂げるか?) おそらくその仕事に没頭している間、家康は、太い鎖に繋
がれたも同然・・・・そして、それがどれだけ大坂に対して見劣りするかで、自分と秀吉の力量の差を、まざまざと自覚せずにはおれなくなるであろう。 「ハハ・・・・関八州を押える城じゃ。立派でのうてはのう」 秀吉が眼を細めて言うあとから、家康はまた生まじめに応じた。 「城などは、遠山がおりまするまで結構で」 「そうはなるまい。いまのでは威風が足りぬ」 「と、仰せられても、入国早々の苛斂
誅求 で、一揆でも引き起こしましては、それこそ関白のご威光を汚しまする」 「ハハハ・・・・大納言も用心深いぞ。成政がことを想い出したのう。しかし成政とお身では器が違う。城も器に応じてのことじゃ。とにかく遠からず、わしもお身を伴のうて江戸の城を見に参ろう」 と、そこへ黒田孝高
が、片足をひきながら上がって来た。 「あ、大納言もご一緒で、上様! やって来ましたぞ」 「ほう参ったか。誰の手を通じて来たぞ」 「織田の家来の滝川雄利・・・・わしよりも、滝川の方が話しよいと見えましてな」 黒田官兵衛孝高と滝川雄利は、二人でせっせと氏直に降伏をすすめていたのだ。 「そうか。では滝川に会おう。大納言、お身も来られよ」
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