〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/12 (日) 東 へ の 道 (四)

家康はホッとした。
秀吉に自分と違った着想があり、それを いられることになると、ここではあらが い得なかった。
祖父代々でつちか った東海の地ならばとにかく、今まで何のゆかりもない関東の地へ乗り込めば、当初は、北条氏の残党をはじめとし、四方はみな敵と思わねばならなかった。
その中で、秀吉と争うようなことがあってはそれこそ永遠に秩序は立つまい。
秀吉は、家康の手腕が関八州を治めるに足らぬと見てとったら、すぐさま裏で扇動者せんどうしゃ に変わるであろう。現に佐々さっさ 成政なりまさ は、九州の新領で、一揆を理由に取り潰されたうえ、自害してのけている。
家康がホッとすると、秀吉はいよいよ上機嫌にはしゃぎだした。
「さすが大納言! 江戸とは見上げたものじゃ。あの地は京に対する大坂と全く同じ。絵図で見てよくわかる。陸からは無数の水路でまもられ、海に大きく口を開いている。これからはよい津 (港) を持たねばその地は大きく発展せぬぞ。いや、江戸はあらゆる意味で、東の大坂、その地相をそなえているわ」
「それがしも、そのように心得ましたので・・・・」
「これで決まった! 決まったぞ大納言。あの地にわしの大坂城を見なろうて、大きな城を建てるがよいわ」
秀吉は、とぼけた表情であお りたてながら、内心では感嘆もし、ほそく笑んでもいた。
(江戸に目をつけるとは、凡手ではない!)
感嘆はそれであり、ほそく笑んだのは、それを立派な城下まち と津に仕上げるための辛労しんろう を想うからであった。
堺から京の商人たちまで自在に動かし得る秀吉ですら、大坂の城にふさわしい街造りには覚えのあるほど骨を折った。
(それを家康がどのように成し遂げるか?)
おそらくその仕事に没頭している間、家康は、太い鎖につな がれたも同然・・・・そして、それがどれだけ大坂に対して見劣りするかで、自分と秀吉の力量の差を、まざまざと自覚せずにはおれなくなるであろう。
「ハハ・・・・関八州を押える城じゃ。立派でのうてはのう」
秀吉が眼を細めて言うあとから、家康はまた生まじめに応じた。
「城などは、遠山がおりまするまで結構で」
「そうはなるまい。いまのでは威風が足りぬ」
「と、仰せられても、入国早々の苛斂かれん 誅求ちゅうきゅう で、一揆でも引き起こしましては、それこそ関白のご威光を汚しまする」
「ハハハ・・・・大納言も用心深いぞ。成政がことを想い出したのう。しかし成政とお身では器が違う。城も器に応じてのことじゃ。とにかく遠からず、わしもお身を伴のうて江戸の城を見に参ろう」
と、そこへ黒田孝高よしたか が、片足をひきながら上がって来た。
「あ、大納言もご一緒で、上様! やって来ましたぞ」
「ほう参ったか。誰の手を通じて来たぞ」
「織田の家来の滝川雄利・・・・わしよりも、滝川の方が話しよいと見えましてな」
黒田官兵衛孝高と滝川雄利は、二人でせっせと氏直に降伏をすすめていたのだ。
「そうか。では滝川に会おう。大納言、お身も来られよ」

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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