「光悦は、すぐには答えられなかった。 家康は、北条氏の所領を加封
されるのではないらしい。と、すれば、これはただ不潔とばかり言い切れないのかもしれない。 「そのかみの、明智光秀のう」 「は・・・・はい、本能寺に右府
を襲った明智どの・・・・」 「あの折のような謀叛
が、また起こるのではないかと案じられた。わしが・・・・ではない。殿下がじゃ。今度の事は、あの折の光秀と全く同じ立場へ駿河さまを追い込んだものだったからの」 「・・・・・・」 「ところが、駿河さまは光秀ほど軽率ではなかった。じっと堪忍なされて所領を転ずることをご承知なされた。しかし、行ってからが骨の折れることになろうてのう」 「なるほど・・・・」 「何分にも百数十年来北条氏の勢力下にあった土地じゃ。残党は狩り尽せるものではなし、頼朝の昔から気風は荒し、野伏
り夜盗 の類の絶えるようになるのはいつのことか・・・・そう思って来ると、他人
ごとながら駿河さまがお気の毒じゃ」 「すると・・・・」 と、光悦は身を乗り出して、 「こなた様は、北条一族のご処分も、前々からご存知でございましたか」 「知ってはいない。しかし、察しはつく」 利休はまた前と同じことを繰り返した。 「もはや内応者が出だしたと聞いているゆえ、長いことはあるまいのう」 「氏政、氏直父子を助けおくことは万々
ない・・・・と、仰せられまするか」 「父子・・・・と、言うても氏政どのと、氏直どのでは扱いは違うであろう。氏政などは降服しても生命はあるまい。しかし、氏直どのは駿河さまの婿君ゆえ、生命は召されず、高野山
あたりへ放たれる・・・・と、これはわしが殿下の口うらからの想像じゃが」 聞いているうちに、光悦の体は再びわなわなと震えだした。 何もかも知っていて、こうしてここで竹細工
をしておられる利休が憎くなって来たのだ。 (これも権勢の側にあって、へつらい暮らすただの俗物・・・・) そんな気がして来てならなかった。 「すると、すると、居士は、そうしたことをみなご存知で、べつだん殿下にご意見はなされませぬので」 「はて、妙なことを言い出したの。わしに何の意見など・・・・わしが言うたとてお聞き入れなさる殿下であるものか」 「北条父子のために、生命乞いも!」 「わしはの、武将でもなければ政治家でもない。ただ、ひたすら侘
びの道をめざす一介
の茶人にすぎぬ」 そこまで言ってから利休はあざけるように言い足した。 「殿下は、あちこちで国を取ったり与えたりなされるがよい。しかしわしは一介の数奇
者 、こうして手すさびの品々を同好者に贈って礼金でもせしめるのが落ちの世捨て人じゃ。そのわしにあまり多くを期待なさるとなあ、いまに光悦どの、こなた、利休めは、生かしておけぬしれ者などと怒りにかられることになろうぞ。おう、こわやの、怖わやの・・・・」 そこへ弟子が古びた釜を外で沸かしてさげて来た。軒にはまだ蚊柱が立っている。 |