「何と仰せられましたので・・・・光悦うかと聞き落としましたが、どこかに無銘の正宗がたくさんある・・・・と、仰せられたのでござりまするか」 光悦はそう訊き返して、もう一度秀吉の揶揄
するような舌打ちを浴びせられた。 「── わからぬ男じゃの、正宗でなくても、正宗に劣らぬ刀ならば、正宗で通して世に出してやるがよい。さすれば刀も喜ぶ道理と申したのじゃ」 「──
え! ではあの偽 せの鑑定をせよと」 「──
たわけめ、誰がニセと申した。こなたはもう少し大人
かと思うていたが、案外話のわからぬ男だの、そちは日本一じゃぞ!」 「── は、・・・・はい。それは、私も自信しておりまするが」 「それそれ、その自信は思いあがっておるぞ。そちの日本一は、刀剣では本阿弥光悦が日本一!
と、この秀吉が決めてやったゆえそれで世間を通るのじゃ」 「── すると、その日本一の光悦に、無銘の刀をあつめて正宗に造り変えよと・・・・」 「──
無銘の刀ではない! 無銘の銘刀じゃ! かくれた豪傑
、かくれた名将を世に出してやれと申しておるのがわからぬか。よし、今日は忙しい。よく考えて返事に参れッ」 こうして秀吉の前から退出して、ものの二丁も歩かぬうちに、光悦の胸の憤怒
は爆発した。 しだいに、秀吉の命令の内容がわかって来たのだ。褒美に領地はやれぬゆえ、茶碗を与え、刀剣を与えてゆく・・・・そこまでは許せる気がした。まさにそのとおり日本はくれ好きの秀吉が、思う存分に分けてやれるほどに広大な島国ではない。 しかし、それとその日の話とは全く別であった。 刀剣は凶器ではない。実用第一の器具でもない。これは、これをもってわが身の正義を護り、一荘
一国の正義を護りぬこうとする、秩序維持の悲願を込めた武人武将の魂であり重宝であるべきなずのものであった。 いわば正義の象徴とも言うべきその刀の鍛え主の名を詐
れとは、何という思い上がった権力者の増上慢
であろうか! 無銘の刀剣は、たとえどのような名刀に見えても鍛えた人にとってはどこか意にみたないところがあって名を刻まぬ場合が多い。 それを日本一の銘刀と偽って褒美にやろうとは・・・・これほど徹底した鍛冶も、刀も、自分も他人も一緒くたにした話がまたとあろうか。 (日蓮の唱えてやまなかった
「立正 ──」 を無二のものとして捧持している光悦に、そのカタリの片棒を担げと言うのだ・・・・) もともと秀吉の派手好みに反感を抱いていた光悦はこれで完全に秀吉を軽蔑した。部下にニセモノの名刀を褒美にやって、みずからは黄金の釜で茶を点じる・・・・ そうなると光悦は、無性に家康が懐かしくなった。家康はいまでもきっと密かに北条父子を救う道はあるまいかと人間らしい苦労を重ねているに違いない・・・・そんな想いで、家康の移ったばかりの今井の本陣を訪て、しかしここでも光悦の若さと潔癖さは見るもむざんに打ちのめされた。 家康はこの時もはや、北条父子の滅亡し去ったあとの、関八州の治め方に冷静な画策を傾けていた。 その意味では秀吉といささかも選ぶところのない不潔さにみちて見えた。
|