本阿弥光悦にとって、こんどほどはげしく露
わな、戦と政治と人間の渦の中心へ抛り出されて振り廻されたことはなかった。 したがって始めのころは、 (今こそ、わが知恵を肥やすとき!) そんな情熱で、自分の周囲に展開する、あらゆる謀略と、彼一流の立正
の一念で取り組んで行く気であった。 表向きは秀吉に召されたお伽衆の中にあって家業を果たすことであった。 秀吉が次々と褒美として出す刀剣のこしらえから鑑定書まで、それが武将の魂であり、それぞれ将来家宝となる偃武
の祈りを果たさねばならぬ名刀とあっては、これだけで彼の仕事は、彼の肩に重過ぎるものであった。 ところが、秀吉が光悦を伴って小田原へやって来たのは、そうした家業のことで使うためばかりではなかった。 「──
刀のめきき ではこなたが日本一!」 秀吉は例の調子で、まず大きく褒め上げておいてから、 「──
しかし、今度の用はめきき
だけではない」 と、生 まじめに声を秘
めた。 「── こなたは小田原の氏直と親しい。そして、氏直の舅
の駿河大納言家康とも別懇
じゃ。よいか。先に氏直のもとに密行し、氏直の重臣たちに誰でもよい裏切らせる手を打って来い。よいか。そして、家康のもとでは、この舅と婿の間に密
かな往来があるかないかを見きわめて参るのだ」 これだけのことを湯本の仮り本陣で聞かされたときには、光悦はまだそれほど愕かなかった。 戦争に密偵はつきものであり、それが、少しでも人命の犠牲を少なくするという効用を残すとあればこれもまた
「立正──」 の一つと言える。 ところがそれからしばらく経って石垣山城の構築にかかっている石切り場で言われたことは、若い正義漢の光悦を完全に打ちのめした。 ほかでもない。 戦が持久戦になってゆくといよいよ褒美が多く要る。と言うて、日本の領地には限度があるのだから領地に代わる褒美の品を考え出さなければならない。 その一つとして自分は名もない
「茶碗 ──」 を利用して来たが、これだけでは足りぬゆえ、こなたの思案で、日本最上の刀剣というをつくり出せという内命であった。 「── あの、日本最上の刀を私に鍛
えよと・・・・」 「── 鍛えよと誰が申した。そちは刀鍛冶ではあるまい。現今、日本最上の刀・・・・と、申せば相州
の正宗 であろう。その正宗の刀を日本一のそちが極
めつけをして作れと申しているのだ」 「── 正宗を作る・・・・とは、何のことでござりましょう?」 正直に言って、光悦は、そのときまで秀吉が何を考えているのかはっきりとは掴み得なかったのだ。 秀吉は幾分歯痒げに、しかし笑いを交えて言い足した。 「──
真物 の正宗は幾振りもあるまい。しかし世の中には無銘のもので正宗に劣らぬものは幾らもある。これをそちの名で正宗として世に送り出してやれ。それがそのまま日本国平定のお役に立てば、刀もよろこび、貰うた相手も気負い立ち、そのご奉公にもなってゆく・・・・それが無から有を産むまこと三方得。よいか、正宗の銘刀
をそちの名で創り出すのじゃぞ」 光悦はわが耳を疑った。何か聞き違いではないかと思ってあたりを見た。 |