〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/06 (月) 生 れ 来 し 塔 (十二)

こうして秀吉は、二十日に駿府城へ入り、家康は長久保ながくぼ の陣屋から改めて城へおもむいて秀吉に対面した。
この日は雨であったし、秀吉の予定は、二十日、二十一日、二十二日と駿府に三泊して、それから清見寺せいけんじ へ発つことになっていた。
すでに富士川には船を並べ、縄手なわて を結んで橋がかけられている。
家康もまた二十日の夕方城にやって来て、秀吉に挨拶したのち、翌二十一日は向後こうご戦評定いくさひょうじょうついや し、二十二日に至って長久保へ帰ることになっている。
それだけに家康が駆けつけたときの駿府城は、それが、秀吉の城か家康の城かわからぬように、曲輪くるわ の内外は秀吉の家臣でいっぱいだった。
家康は、秀吉が上機嫌で先着していることを聞いて大手門から本丸へ入っていった。
秀吉のために、かくべつ新築はしなかったが、きれいに掃除されて畳替えをした大広間は、両側に並んだ秀吉の旗下たちの軍装の派手さと共に、城主の家康が首を傾げるほどに明るくはな やいだものに見えた。
「これはお越しなされませ。殿下にはお待ちかねでござりまする」
石田治部小輔の言葉に一揖いちゆう して、家康は、正面上段に控えている秀吉の前に進んだ。
秀吉は自分で上段の右わきをあけて待っていた。
家康はしかし、わざと上段にはのぼらずに、浅野長政と三好秀次の並んだ少し前まで行って座をしめた。
秀吉がことごとに戯れてみせている。それだけに家康もまたあらがわずに戯れ返してやる気であった。
問題は、このような場所での細かい動作や面子になく、小田原城落城以後の移封のことにあった。
ここで、少しでも秀吉を警戒させたら、それは必ず大きなお返しになってその後の備えにひびいて来よう。
仮に、家康を関東に移しただけではなく、その北の奥州の伊達だて のほかに、蒲生がもう 氏郷うじさと あたりを押えに配されたり、なにかにつけてうるささがやり切れまい。
そんな計算はしきっている家康だけに、家康は必要以上に、みんなの前で秀吉を立ててゆく気であった。
もし秀吉が、それを奇異に感じたら、これも秀吉の唐冠同様、家康の狂言仕立てなのだと笑うつもりであった。
「これはこれは、殿下には遠路お疲れもなくわたらせられ、家康、恐悦きょうえつ しごくに存じ上げまする」
秀吉は一瞬ポカンとした。見ていた秀次も長政も眼を、白黒している。
と、その刹那せつな であった。
「殿!」
と、途方もない声が平伏していた家康の背後で起こった。
家康はそれが誰の声か一瞬にして知った。
こんなところへ来るはずのない、第二陣として遠江にあるはずの本多作左衛門のダミ声であった。
「おお作左か」
家康が顔をあげたときには作左衛門は草摺くさずり を鳴らして秀吉の家臣の間を家康めざして歩いていた。
そして、秀吉の前に傲然ごうぜん と突っ立ったまま、
「殿! バカ殿!」
と、身をふるわして叫んだ。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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