〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/06 (月) 生 れ 来 し 塔 (十一)

秀吉は胸の高さで、真っ赤な槍をしごくと、ぴたりと家康につけてぐいっと一歩進み出た。
それは 「たわむ れ!」 ととっさに判断できながら、ふしぎな殺気で家康を押して来る。
家康はそっと太刀を左手に持ちかえた。
「大納言!」
「はい」
「この場は、お許とわしに二人きりじゃ」
「仰せのとおり・・・・幕の外で、小鳥は鳴いておりまするが」
「ほかには見せたくない。小鳥も聞くなッ」
「と、仰せられましても、鳴き止みませぬようで」
「聞け大納言」
「うかがっておりまする」
「わしがこのような身なりをしておるのに、お許、なぜそのようにまっとう・・・・ な身なりで陣中を歩くのじゃ」
「はい、生憎あいにく と、そのような鎧も太刀も持ち合わせがござりませなんだ」
「よしッ!」
そう言うと秀吉は、手にした槍をガラリと家康の足もとに投げ出した。
「その槍とらそう。それを持って歩かっしゃ、さすれば幾分わしと釣り合いが取れよう」
「これはかたじけない。では頂戴ちょうだい
「大納言」
秀吉は、家康がかがんで槍を拾いとると、ワッハッハッハッハ・・・・と、割れるような声で笑って、顔の髭をむしりとった。
「おわかりか、わしが、わざわざその槍進上しんじょう したくて呼んだわけが」
「富士見や花見には、おどけもよいもので・・・・と、仰せられまするか」
「いかにも、いかにも・・・・これはのう、わし一人の花見ではない。お許にとっても花見の遊山じゃ。せっかくわしが道化ているのに、お許が生まじめゆえ不釣合いなのじゃ。その槍担いで笑わして歩くがよい。さすればつまらぬ噂など立つ隙はないはずじゃ」
「なるほど、これは心づきませなんだ。では、家康、今日からその唐冠と金こざねの槍持ちを勤めましょう」
「ハハハ・・・おわかりなされたか、何の、お許とわしほどの者が二人そろうて、生真面目に渋面じゅうめん 作って歩く必要があるものか」
「まことに仰せのとおり」
「槍だけではのうて、髭も一本贈りたいところじゃが、これはカケ替えがないゆえ、お許に譲れぬ」
「髭の代わりに、では、家康も角鍔の二本太刀にいたしましょうかな」
「ハハ・・・・それには及ばぬ。それには及ばぬ。では、みなが固唾かたず をのんで待っているゆえ、悠々とその槍ついて往んで下され」
「恐れ入りました。では城にて後刻」
「さらば」
家康が一礼して奥の幕を通って来ると、石田三成が肩膝ついてこれを迎えた。
「治部どの」
「はい」
「うっかり雲など だしめさるなよ」
「は?」
「富士でも見えなくなろうものなら、髭がわめく。唐冠を曲げないようにの」
そう言うと、そのままさっさと幕の外へ出て行った。これもまたわが生き方などみじんも曲げない頑丈がんじょう な根性の塔を持っている。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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