秀吉は胸の高さで、真っ赤な槍をしごくと、ぴたりと家康につけてぐいっと一歩進み出た。 それは
「戯 れ!」 ととっさに判断できながら、ふしぎな殺気で家康を押して来る。 家康はそっと太刀を左手に持ちかえた。 「大納言!」 「はい」 「この場は、お許とわしに二人きりじゃ」 「仰せのとおり・・・・幕の外で、小鳥は鳴いておりまするが」 「ほかには見せたくない。小鳥も聞くなッ」 「と、仰せられましても、鳴き止みませぬようで」 「聞け大納言」 「うかがっておりまする」 「わしがこのような身なりをしておるのに、お許、なぜそのようにまっとう
な身なりで陣中を歩くのじゃ」 「はい、生憎
と、そのような鎧も太刀も持ち合わせがござりませなんだ」 「よしッ!」 そう言うと秀吉は、手にした槍をガラリと家康の足もとに投げ出した。 「その槍とらそう。それを持って歩かっしゃ、さすれば幾分わしと釣り合いが取れよう」 「これはかたじけない。では頂戴
」 「大納言」 秀吉は、家康がかがんで槍を拾いとると、ワッハッハッハッハ・・・・と、割れるような声で笑って、顔の髭をむしりとった。 「おわかりか、わしが、わざわざその槍進上
したくて呼んだわけが」 「富士見や花見には、おどけもよいもので・・・・と、仰せられまするか」 「いかにも、いかにも・・・・これはのう、わし一人の花見ではない。お許にとっても花見の遊山じゃ。せっかくわしが道化ているのに、お許が生まじめゆえ不釣合いなのじゃ。その槍担いで笑わして歩くがよい。さすればつまらぬ噂など立つ隙はないはずじゃ」 「なるほど、これは心づきませなんだ。では、家康、今日からその唐冠と金こざねの槍持ちを勤めましょう」 「ハハハ・・・おわかりなされたか、何の、お許とわしほどの者が二人そろうて、生真面目に渋面
作って歩く必要があるものか」 「まことに仰せのとおり」 「槍だけではのうて、髭も一本贈りたいところじゃが、これはカケ替えがないゆえ、お許に譲れぬ」 「髭の代わりに、では、家康も角鍔の二本太刀にいたしましょうかな」 「ハハ・・・・それには及ばぬ。それには及ばぬ。では、みなが固唾
をのんで待っているゆえ、悠々とその槍ついて往んで下され」 「恐れ入りました。では城にて後刻」 「さらば」 家康が一礼して奥の幕を通って来ると、石田三成が肩膝ついてこれを迎えた。 「治部どの」 「はい」 「うっかり雲など出
だしめさるなよ」 「は?」 「富士でも見えなくなろうものなら、髭がわめく。唐冠を曲げないようにの」 そう言うと、そのままさっさと幕の外へ出て行った。これもまたわが生き方などみじんも曲げない頑丈
な根性の塔を持っている。 |