「それはなりませぬ!」 と、三成はさえぎった。 「殿下ご自身試すなどと、そのような軽々しいこと・・・・もし御体に、万一のことがござりましては取り返しがつきませぬ」 この三成の反対は、かえって秀吉の好奇心を逆にあおる結果になった。 「何の、欲しいと思えば、この年になっても子宝まで恵まれる神変不思議な秀吉じゃ。家康ごときに計られるようならば計られて終わるがよい。のう長政」 「それがしは、大納言に野心などみじんもないと信じまする」 「それゆえ、どちらが当たっているか試みるのじゃ。よし、十九日、宇津
ノ山を越えて駿府に入れとある。入る前に、そうじゃ、手越
まで家康に出迎えるよう申し送れ。治部、案ずるな、そこでわし自身が試してみて、あやしい節があったら駿府城へは入らず、そのまま沼津へおもむくわい」 「しかし、それではあまりにも軽々しいかと・・・・」 「運試し、運くらべ・・・・まあ任せておけ」 秀吉は何か浮きうきと楽しそうであった。 むろん彼は小田原城の攻略などさして問題にはしていない。それよしも、ここで家康を関東に追って、箱根以西の地をがっしりと腹心で固めてしまうこと、伊達
政宗 を呼びつけて叱りつける腹案、などでいっぱいだった。 そのほかにもう一つ、この征旅
を絶好の機会として、正室と淀の者との順序、鶴松丸と甥の三次秀次の後継の問題など、すべて一気に片付けようという夢がある。 (その秀吉が何で幸運の星に見放されてよいものか・・・・) その意味では、家康を自身で試して見ようという思いつきは二重に楽しい。 一つにはわが幸運を確認し、二つには旅のつれづれを慰め得る。 おそらく家康も、邪心がなければ、いよいよ秀吉をおもしろい人物として畏敬するに違いない。 その十九日がやって来た。 秀吉は宇津谷峠を越えて安部
川の手前の手越までやって来ると、ここに陣幕を張らせて小憩を命じた。 秀吉の方は思いつきを楽しんでいるのだからよかったが、家康は、味方の陣屋を見廻っている途中で、わざわざ出迎えを命じられたのだから笑いごとではなかった。 それぞれ案内や接待は係を決めて、手落ちのないよう駿府城へ導き入れ、そこで対面する手はずだったのが、急に手越まで出迎えよという。 (何かあったかな?)
内心ではいぶかしみながらやって来た。 「これは遠路大儀でござった。家康お出迎えにまかったとお取り次ぎ願いたい」 幔幕
の周囲に案外人影の少ないのを見きわめて、奉行の石田治部に申し入れると、石田三成は、 「陣中なれば、大納言さまお一人でお通り下されたい。殿下もお一人・・・・一人と一人でご対面なさりたき思
し召 しにござりまする」 家康は、ふと小首を傾
げかけたが、すぐさまうなずいて、 「ご案内を」 肥った体をゆすって、三成のあとから幔幕をくぐっていった。 |