秀吉の掲げる自信の塔は、本多作左衛門のそれよりはひとまわり大きかった。 しかし、彼の内部には、つねに自分を幸運きわまる太陽の子と信念する心と、それをときどき試みずにはいられない好奇の虫とが共に棲んでいる。 太陽も子は何よりも雨天が嫌いであった。 雨天は彼の珍奇を極めた軍装や、美々しい馬具や、化粧したつけ髭の尊厳をおびやかすことおびただしい。 でき得れば晴天に、ちりばめた黄金をきらめかせながら行進を続けたい。 そこで、伊奈熊蔵の進言を、いかにも素直に受け容れた形で、吉田城に雨を避けることになった。 (この秀吉に危害を加える者などあったら出て来てみるがよい・・・・) 自信と好奇心とで、三日間吉田城にとどまるうちに、小さなこの城の上にはつねに紫雲がたなびいていたという伝説を作ってまいた。 「──
なに、わしが泊っていると、空の模様が違うと申すか。さもあろう。わしには心当たりのないことではない」 秀吉ほどの達人になってゆくと、その心境は悪戯好きの子供に還
るものらしい。彼は近侍や家康の接待係が呆れるようなことを平気で言った。 しかもその平気さは、やがて人々をふしぎな感嘆と陶酔
に巻き込んでゆくのである。 (やはり常人ではない。どこかに神の匂いがする・・・・) その意味では、このころの秀吉は、すでにどんな奇行も神秘化される教祖の風格を備えだしていた。 「その秀吉が雨を晴らして吉田城を出発したのは三月十四日であった。 この日はすでに秀吉のために吉原に陣屋が新築されてあって、秀吉が陣屋に入ると同時に、またしても家康の異心の有無
が問題になりかけた。 石田三成は秀吉の前にすすむと、 「ご油断はなりませぬ。このあたりから先の様子にただならぬものがござりまする」 と進言した。 「ただならぬとは、何を指すのじゃ治部」 「恐れながら、いまだに、小田原からは、先手の徳川勢に一兵も仕掛けて参った気配がござりませぬ。これが疑問の第一・・・・やはり、家康と氏直の間には、何らかの密約があるのではござりますまいか」 「ハハ・・・・治部は相変わらず用心深いの。長政はどうじゃ」 訊ねられて、同席していた浅野弾正少弼長政ははげしくかぶりを振っていった。 「これはもってのほかのお疑い!
大納言はみずから前線を見廻り、兵を戒
めて歩いてござりまする。もしお疑いなどかけられては、関白は小腹なお方とお笑いなされよう。 いや、笑われるだけでは済みませぬ。それが原因でわざわざ大納言を敵に追いやることにもなりかねませぬ。故右府と明智の例もござりますれば、そのようなこ疑念はお晴らしあってしかるべきかと存じまする」 「すると、小田原がまだ働きかけぬわけは?」 「されば、あまりの大軍に寄せられて、いまだ評定
の決せぬものと解すのが至当かと・・・・」 長政がそこまで言うと、秀吉はポンと膝をたたいて、例の悪戯っ子の眼をして言った。 「よし、わし自身で、家康を試してやろう」
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