お先手の二番衆のあとには脇備えの菅沼
山城守 定盈
、久能 民部少輔
宗能 、松平伊豆守信一
の三将がつき、右備えには天野
三郎兵衛 康景
、三宅 宗右衛門
康貞 、内藤豊後守信成の三将。 左備えには松平因幡守
康光 、保科
肥後守 正直
、高力 河内守清長
の三将がついた。 続いて旗本の大番組六手、旗奉行、お使い番後備えと・・・・それは全く徳川勢の総動員で、このまま関東に討ち入っていついても歯も立つまいと思われる配備であった。 それだけに、秀吉が清洲から岡崎と進んで、吉田の城へ入ったころには、秀吉の旗下
へあらぬ噂が立ち出していた。 三月十一日の朝で、この日は前日からの雨であった。 「── これは、うかつに城へは止まらず、急いで川を押し渡るべきではあるまいか」 「──
なぜじゃ。この雨に中をわざわざ進むには当たるまい」 「── そうではない。行く手にはすぐに豊川
という川がある。ここで逡巡していて、もし出水にあい、岡崎から背後でも衝かれるようなことがあっては一大事じゃ」 「── まさか・・・・徳川どのがそのような?」 「──
いやいや、あの至れり尽くせりの親切が怪しいものじゃ。聞くところによれば、本多作左衛門という真っ正直な老人など、事ごとに先手への反感を示したというではないか」 その疑心は、この地に先行して小荷駄を采配していた石田三成の口から秀吉に告げられた。 わが生まれ来ししるしの塔を築こうとしているのは決して作左衛門一人ではない。愛児を得ていよいよ雄心を湧き立たせている秀吉は、作左に幾層倍した夢を広げてそれを追っている。 「──
よし、このような小城にとどまることはあるまい。雨など恐れず、一挙に浜松まで押しわたれ」 そして、そのまま城を出ようとしたときに、 「── しばらくお待ちを」 声をかけたのは小栗
仁右衛門 忠吉
と共に接待役を命ぜられている伊奈
熊蔵 忠次
であった。 「── この雨は晴らしてから出立なさるがよろしかろうと存じまするが」 秀吉はおおきくうなずきながら笑った。 「── わしの軍列が雨などにさまたげられて、予定を狂わせられたとあっては後々の人が笑うであろう。人が雨に溶けた話は聞かぬ。前に川があるゆえ今わたらぬと後でわたれぬおそれがあるぞ」 「──
これはしたり、行く手に川があって雨の降るおりには、小さな軍勢ならば急いで渡るべし、ただし、大軍なれば待つべしと軍書にははっきりござりまする」 「──
ほう、これはおもしろい。なぜじゃな」 「── 大軍が無理に渡ろうとすれば、長い時間を要して、後尾
は必ず出水に押し流されるもの・・・・殿下のお旗本は十万を超えておりまする。それに、先手
はわれらの主君が固めてござりますれば、特にお急ぎなさる要はないと存じまするが」 すると、この方は、つけ髭を動かして笑った。 「── 伊奈熊蔵、あっぱれなり!
そちの申し出に従おう。みなみなこの城で、ゆっくり休んで雨を晴らそうぞ。そうじゃ、先手にはわしの弟の大納言がおるのじゃ。ワッハッハッハ」 |