〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/06 (月) 生 れ 来 し 塔 (六)

「── 出たのう、真昼の化けものが」
松平伊豆守が聞きとがめて、
「── 作左どの、口をつつ しまれよ」
渋い顔でたしなめると、作左はいっそう腹をおさえて笑いころげた。
「── おかしいときに笑うのじゃ。ご免なされ。向こうが化けもので来るなら、こっちも出ようがありそうなもの、うちの殿は何で出るかの」
「── 何で出るかとは・・・・たわむ れが過ぎようぞ」
「── ハハ・・・・怒りなさるな。昔は秀吉も、殿の前では神妙な武将であった。金カ崎のおりにも姉川のおりにもなあ。それが、だんだん甲羅こうら に毛が生えて、金銀と熊の手のお化けになった。そうなればこっちも少しは化けてみせねば悪かろうぞ。そうではござらぬか伊豆どの」
伊豆は苦々しげに舌打ちして行きすぎたが、本多正信は、ここでもまた、
(ハハン!) と、作左を見直した。
これはただの れ言ではない。向こうの出方に対して味方の備えに不充分なところがあるという諷諫ふうかん に違いない。
そう気づくと正信の頭脳はまた素晴らしく回転しだした。その意味では全く二人の組み合わせは至妙なものを含んでいた。
(いったい、あの頑固な老人め、何を目ざしているのだろうか・・・・?)
人間は策略の枝の上に思案と野心の巣を作って住む動物と思い込んでいる正信にすれば、これがただのわがままだけと受け取れるはずはなかった。
わがままだとすれば、これほど危ないわがままはない。一歩あやまったら、作左自身の生命ばかりか、家も妻子も吹っ飛んでなくなろう。
作左の言行は、家康も秀吉も見境なしの暴言で、謀叛とも、狂乱とも言いくるめられる種類の大脱線なのだ。
さすがに、そのことに気づいたのは正信の卓見であった。中にはカンカンになってしまった重臣たちも大ぜいいる。
とにかくこうした作左と佐渡の組み合わせで、続々と東進して来る豊臣方の参謀たちは、少なからず混乱させられた。
(── 家康の肚がわからぬ・・・・?)
いったい、佐渡守正信の、至れり尽くせりの親切が本心なのか?
それとも作左によって代表される無礼な反感が本心なのか・・・・?
秀吉の本陣が、道々民衆を驚倒きょうとう させて岡崎へ着いたころには、徳川勢はすでに先手としての配備を終わって、いつでも小田原へ手を伸ばせる態勢を整え終わっていた。
お先手衆はこれを七手にわけてあった。
酒井宮内大輔家次
本多中務大輔忠勝
榊原式部大輔康政
平岩主計頭かずえのかみ 親吉ちかよし
鳥居彦右衛門尉元忠
大久保七朗右衛門忠世
井伊兵部少輔直政
この七将にそれぞれ相備えをつけて、第二の先手衆がこれに続いた。
作左衛門もまた、この時に至って道奉行から第二先手衆の一人にあげられた。
相役は、松平玄番頭げんばのかみ 家清いえきよ 、酒井河内守重忠、内藤弥次右衛門家長、柴田七九朗康忠、松平和泉守いずみのかみ 家乗いえのり 、石川左衛門佐さえもんのすけ 康通やすみち の六人で、作左を加えて、これも りすぐった七将であった。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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