〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/06 (月) 生 れ 来 し 塔 (五)

三成はまっ蒼になって癇筋を立てていった。
「── 遊山や敵のことを訊いているのではない。舟橋の用意は出来ているかと聞いたのじゃ」
「── それゆえ、まだできまい・・・・ と答えたのじゃ。若いに似合わず耳が遠いと見える」
「── ええ、こなたではわからぬ。奉行を出せ。道奉行がいるであろう」
「── いよいよ話の通ぜぬお人じゃ。奉行はおれじゃ」
「── な、なんとこなたが本多・・・・」
「── 作左衛門じゃ。作左衛門ゆえまだできまい・・・・ と、あいまいに答えたのじゃ。関白を通す橋、できたかできぬかなどは、関白が到着なされて渡る前にはわからぬがよいと思わぬか。戦もクソも知らぬお人じゃ」
石田三成はわなわなと震えながら床几しょうぎ を起って、二度と老人を振り返ろうとしなかったそうな。
そうなると本多佐渡は、佐渡なりに作左衛門の考え方を推察してみるよりほかになかった。
作左は、来る軍勢、来る軍勢に思い切り駑馬どば をあびせて、今度の戦の先手さきて を引き受けさせられた腹いせをする気らしいと。
むろんそのことは、駿府を発して沼津に先発してある家康のもとまで通じていったが、家康は何も言わなかった。
いや、家康がただ黙って不問に付すばかりでなく、この噂が次々に徳川勢に中に聞こえわたると、
「── さすがに鬼作左じゃ」
「──すーっと胸のつかえがおりるわい」
「── それに引きかえて佐渡どのはのう」
「── 無理もない、算盤そろばん でしかご奉公のできない人じゃ」
何もしない作左衛門の評判のよさに引きかえて、一切合財いっさいがっさい 骨を折らされた上に頭を下げ続けてゆく佐渡の評判はさんざんであった。
(これはとんだ知恵者にされたわ!)
正面から怒る気にはなれず、怒ったらまた、かえって向うに人気が沸く・・・・と、わかるだけに、佐渡は苦笑しながらハラハラと心を砕いてゆくばかりであった。
こうしたうちにも、春は、しだいに土の香をやわら げて、季節は春に入った。
三月一日、節刀をさげた秀吉は堂々と新設した三条大橋を渡って東へ向かったという噂が、次々にやって来る軍列に先行して東海地方へ聞こえて来た。
こんどの秀吉の出陣は、かっての九州のえき 以上、ものに驚かぬ京童きょうわらべ を圧倒し尽くすほどの珍奇さであったという。
そもそもその日の秀吉の扮装ぶりがすざまじかった。和冠を十文字に押し立てたような唐冠とうかむり に眼の覚めるような金こざね・・・緋縅ひおどしよろい をまとい、歯は黒々とカネをつけ、白粉おしろい をはいた両頬に熊の毛で作ったひと掴みもあるほどのつけ髭を左右にはね上げていたそうな。
太刀は、五月人形の金時きんとき がかざすような角鍔かくつば の黄金作りでしかも二本。金塗りの大弩俵どひょう空穂うつぼ の上に征矢そや 一筋刺し貫いて、仙石せんごく 権兵衛ごんのひょうえ 秀久ひでひさ が進上したという、真っ赤な重籐しげとう の弓を握り、五尺七寸の馬には萌えたつような紅の厚ぶさをまとわして、粛々と三条大橋をねり渡ったというのだから、考えようによれば正気とは受け取れない。
それを聞いたとき作左衛門はゲラゲラと笑った。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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