〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/05 (日) 生 れ 来 し 塔 (四)

本多佐渡守正信は。さすがに途中で顔色を変えかけた。しかし、そのまま感情に負けて怒り出すほど単純な佐渡ではなかった。
「── いかにも」
と、 まじめに応じておいて、
「── たしかにこれは、なかなか味な組み合わせでござったわ」
と、そらしていった。
「── ほう、こなたにも味がおわかりか。どんな味じゃな?」
作左は意地悪くわざわざ佐渡をふり返る。
「── この味、なかなかもって も言われぬ」
「── いいや、わしは一言で言い得る。どうせこなたがペコペコと、あちこちで殿の体面を傷つけようほどに、わしにそのあとをつくろっておけというのじゃ」
「── ほう、この佐渡が、殿の体面を!」
「── そうじゃ。それでよいのじゃ。安心して恥を掻かっしゃい。仮にも佐渡は、家康以上の器量人・・・・などと、とんでもない噂を立てられぬようにな」
そこまで言われて、はじめて佐渡はギクリとした。
「── まるほど、そのことを言われるので」
「── いかにも、そのことを言っておる。こなたは方々ではじをかき、わしは方々で叱りまくる。相談ずくでないところに面白さが百倍しようぞ」
そう言うと、さっさと先に退っていった。
そして、それは秀吉の先発隊が三河へ入ってくるに及んで本多佐渡の予期以上に、手のつけられぬ感じで爆発した。
最初は二月二十八日に京を発った浅野弾正だんじょう 少弼しょうひつ 長政が、秀吉の本隊の先駆せんく として尾張から三河へ入って来た日に起こった。
本多佐渡の苦心して宿々に設けてあった茶屋の一つに立ち寄って、
「── これは心利いたこと。ご進路に、ずっとこのようなお心尽くしの茶亭を設けられたのか」
長政が茶を捧げて出た若侍に上機嫌で声をかけると、
「── 知らぬのう」
作左は、顔も見ずにうそぶいた。
「── 何しろ、遊山ゆざん の旅ではないでのう」
「── なに、何と言われたのじゃご老人」
「── 知らぬと申したのじゃ、小田原の氏直どのは戦う気ゆえ、ずっと城まで茶屋を建てたかどうかのう」
長政はサッと顔色を変えたが、それが名うての本多作左衛門と知ると、危うく怒りをこらえたという。
こうなると、本多佐渡は予定の地点よも先まで出迎えて、わざわざ無礼を詫びなければならぬ。
石田治部少輔三成が入って来たときには、さらにそれに輪をかけていた。
岡崎の入り口、矢矧やはぎ の大橋のたもとで、三成は、これも作左とは知らずに声をかけた。
「── 申しつけてある大井川の舟橋の用意はできていような」
「── 大井川の舟橋の用意?」
「── そうじゃ。駿府大納言どのに申しつけてあるはず、とうけたまわったが」
「── すると関白どのは、敵を遠江とおとうみ へおびき出して戦うお気かの。わしは富士見の遊山と聞いていたが」
「── な、なにッ、敵を遠江へ!」
「── そうじゃ。味方の渡れる橋は敵にも渡れる。早くから けてあったら喜んで攻めて来るであろう。それでは遊山にはならぬが・・・・」

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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