〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/05 (日) 生 れ 来 し 塔 (三)

今度の戦に家康は、先手さきて を勤めるだけではなく、秀吉の大軍を迎え入れ、領国を通過せしめ小田原へ向かわせるという大役が控えている。
もしその途中で、秀吉の旗下きか はむろんのこと、全国から召集されて来る諸家の軍勢と、徳川家の士卒とが万が一にも紛擾ふんじょう を起こすようなことがあってはそれこそ一大事であった。
「── 第一に江州ごうしゅう 八幡山を発するのは三好中納言 (秀次) が軍勢なれど、領内に到着するは織田内府 (信雄) 、蒲生飛騨らの人数が先になろう。続いて入るは水軍じゃ。水軍は・・・・」
家康は、眼を閉ずるようにうして自慢の記憶力をたどりながら、
「── 脇坂わきさか 中務なかつかさ九鬼くき 志摩、加藤左馬助、ちょう 曽我部そがべ 宮内少輔くないしょう が船手じゃ。これは遠州今切いまぎれ に着岸させたうえ、清水しみず に船がかりさせるはず、宿々には駄馬の用意五十ぴき ずつ。いよいよ関白ご発信の三月以降は、ほかにのりかけ馬、お泊まりの所々に五十疋ずつ申しつけおくように・・・・」
それは、すでに本多佐渡には伝えられていることと見え、佐渡はかたわらの書き役をかえり見ながら聞いていた。
「── 問題は彼我ひが の間はむろんのこと、お味方同士の間にも騒擾そうじょう を起こされることのないよう・・・・それなればこそ、佐渡、その方と重次 (作左) に命ずるのじゃ。手配万端は佐渡、味方将兵の監視監督は重次が役と心得よ。重次、相わかったか」
そう言われると作左はニヤリと笑っただけであった。
そしてそのあとの佐渡と作左の打ち合わせが前代未聞のおかしさであった。
佐渡と二人になると、作左はそのままのっそりと ってゆこうとした。
「── 重次どの、お待ちなされ」
「── まだ用か」
「── まだ用でござる。まだ二人の間で、何の打ち合わせもいたしておりませぬ」
「── 打ち合わせならいらぬことじゃ。すべてこなたがおやりなさればよい。殿は、あしなど当てにして二人を選んだのではない」
「── これはしたり、それではそれがしが困却・・・・」
「── なに、困却・・・・困却したならなぜ断らぬ。引き受けておいて困却するおぬしか。殿にまで、いちいち指図をしたい徳川家随一の知恵者ではないか」
「── 重次どの、それではお身は、今度の相役、何とお受け取りなされてござるのじゃ」
「── こなたが無法者に出おうて困ったおり、わしがその無法者を叱りつけるだけのこと、困ったら申されよ。ほかのことでは役に立たぬ」
「── なるほど、そのようにお受け取りか・・・・」
「── 知恵者どのは何と受け取られたな」
「── それがしは、お身と二人であれば、相手につけ入られることもなく、また、心利かぬこともあるまいと、こう考えなされたうえの組み合わせ。それゆえ、いちいちご助言をうけたまわりたいと存じていたが」
「── 真っ平じゃ。正直に申すと、それがしは鼻の尖に知恵袋をぶら下げて歩く人間は大嫌いじゃ。秀吉にしてもこなたにしてもな・・・・しかし、嫌いがかえってよい場合がある。こなたは自在に振る舞えばよく、わしもこなたなど眼中におかずに、無法無礼をとがめて歩けばよい。殿もなかなか味なことをなさるわ。よいかの、これからの相談はいっさい無用。わしも決して相談はせぬ」

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next