〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/04 (土) 生 れ 来 し 塔 (二)

本多作左衛門にとってこんどの小田原陣は最後の奉公の機会であった。
いや 「奉公 ──」 という堅苦しい言葉はもはや念頭から払拭ふっしょく されていたとも言える。
家康という、同じ時代に生まれ合わせた人間に、自由で、闊達な、いささかも自分をゆが めることのない気持で最後の助力をしてやろう・・・・したがってこれは、主君であるがゆえに仕えるのでもなければ、それが 「善 ──」 であるゆえ追従するというのでもなかった。
(人と生まれて来たあかし の塔を立ててゆく・・・・)
たとえそれが家康を激怒させようと、家中の非難のまと になろうと、そうした事にはいっさい心を労さずに、おのれの持って生まれた 「業相 ──」 を大らかに活かし切って散ってゆこうという心境であった。
(それでなければ、おのれの生涯は、数正めに負けたことになる・・・・)
今度は石川数正も、秀吉の武将としてやって来る。どこで彼に顔を合わせても、フフンと笑って恥じないだけの生き方をしなかったら、数正の方で嘲笑あざわら って通るに違いない。
数正は、自分の肉体を秀吉側に置こうと家康側に置こうと、そんなことは問題ではないと言っていた。
二人の意志の最上の部分は 「日本を統一して、万民に神仏の慈悲を恵む・・・・」 とkろにある。それゆえ、それを実践して生きる人生は、彼らの人生にまさるとも劣るものではない・・・・と。
作左衛門にはそれが片腹痛いのだ。
「── 大根めが、大木の真似をしくさって」
大根は大根らしく大黒柱になろyなどと思うことは迷いに過ぎない。大根のままで立派にその生を生かす道があるはず ──
そうした作左だけに、時折り家康が話しかけても聞こえぬふりをして脇を向いた。
家康もすでにそうした作左の性根を見抜いているらしく、
「── 関白どの進軍のお道筋を、きれいに取り片付けておくように」
本多佐渡と並べておいてそう命じたときも、かくべつ作左個人の答えなど期待もしない様子だった。
「── 出発の期日は」
と、作左はぶっきら棒に問い返した。
「── 三月一日に京をご発進なさる」
「── 進まるる順路は?」
「──作左、そちの口に利き方、もう少しもの静かにならぬか」
「── もの静かにいたせば順路が変わりまするか」
家康は苦笑した。
「── 佐渡も覚えおけ、大津から八幡山、佐和山、大垣、清洲、岡崎、吉田、浜松、掛川、田中を経て駿府へ入られる」
「──フン」
「── 作左、そちも関白どのに相見の時もあろう。その折の言葉遣いのことじゃ」
「── 殿はそれをご承知のうえで、この役仰せ付けられたと心得る」
「── わざわざ事を起こすなと申すのじゃ」
「── 事は起こしませぬが、嫌いなものに惚れ直せとは仰せあるまい」
「── その方、それほど関白が嫌いなのか」
「── 心底から好かぬ!」
それだけで家康は役儀のことは作左衛門には言わず、本多佐渡守正信だけに懇々こんこん と命じていった。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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