彦左衛門も飲んだが、作左衛門も飲んだ。 いったん話が済んでしまうと、どちらも黙って、チビリ、チビリと盃を舐めながらときどき思い出したように双方で、相手の顔を見る。 視線が出会っても笑うでもなく、うなずき合うでもなかった。 他目には、ひどく気拙
い間柄の探りあい・・・・とも見えるのだが、それでいて二人は充分に納得し合い、楽しんでいるのであった。 「わかったな平助」 「わかった」 約一刻半あまりの間に、二人の交わした言葉は、これが二度だけだった。 それほど無口な二人ではない。したがって、二人とも以前に話し合ったことから、さまざまな連想や、反省や、立案の糸をたぐりだしている証拠であった。 彦左衛門は腹の中で、いつまでも、 「
── 心は小田原へ進撃しているが・・・・」 そういった作左衛門の言葉を裏返し、表返しして肴
にしていた。 そう言えば、これから大坂へ出かけてゆく家康も、体は西に向かっていても小田原への進撃を開始しているに違いなく、もはや家中の心はみなその方向へむけられていなければならない時期であった。 小田原の戦を、作左衛門は秀吉の
「富士」見の遊山」 と呼んだ。 秀吉にとっては 「富士見の遊山 ──」 が徳川家にとっては、興亡を賭けた再出発の門出
になる。 武力で、敵と正面衝突するのではなく、冷たい思想戦の渦中へ進撃してゆくのだから、今までの経験では律しきれないものがあろう。 彦左衛門はいつからか信長に反旗をひるがえした明智
光秀 の立場を連想していた。 あのときの光秀の立場は、これから家康が立たせられようとしている徳川家の立場によく似ている。いや・・・・似ているなどと言うものではなくて、秀吉が信長の故智
にならって、おなじ手段を徳川家の上に試みている・・・・と言ってもよかった。 光秀は、本領の丹波
や近江 の坂本などの旧領をそっくり召し上げられて、まだ敵地である山陰地方へ移封されると聞いて逆上したのだ。 (──
旧領は召し上げられ、万一新領を斬り取り得なかった場合、行く先とてもない一族郎党はどうなるのだ!) その不安が彼に、柄
にもない天下奪取の叛乱を企てさせた。世間では、そうさせたのも秀吉ではなかったか? と、そんな噂があるほどなのだから、秀吉の脳裏に、家康を光秀と同じような立場においてその人物を試みる・・・・という考えがあっても不思議ではない。 本多作左衛門は、それがあると睨んで対処する用意にかかっている。 (面白い老人・・・・いや、鋭い老人だ) そう思ったときに、作左衛門はとつぜん盃をおいた。 「眠うなった。寝かしてくれ平助」 平助はハッとして、 「かしこまりました。それがし明日、殿に、小田原進撃の心構えのこと、言上いたしましょう。それゆえ、ご老体はごゆっくりと」 手を鳴らして女たちを呼ぶと、 「わが家で、いちばん柔
かい夜具をな」 と、命じていった。 |