「平助も、ときどき鋭いことを申すなあ」 作左が苦笑すると、彦左衛門は負けずに言い返した。 「ご老体の眼がねにかのうた彦左衛門じゃ。少しは鋭いところもなければなりますまい」 「フフン」 「その笑いは気になる笑いだ。しかし気にはすまい。ご老体は隠居なされて、何をする気じゃ。この彦左衛門には打ち明けてもよいであろう」 「フフン」 「話してもわからぬと言わっしゃるのか」 「いいや、わかることでも話せぬことがあるものじゃ。話さずとも感じ取れ」 「こんどはこっちでフフンと言いたい。話さずとも聞き、見せずとも見よか」 「そうじゃ。その能力が人間にはあるはずじゃ。よいかの平助、わしの心はもう小田原へ向けて進撃を始めている」 「へえ・・・・いよい奇妙なことを言い出したぞこの年寄りが」 「しかし、体はこれから岡崎へ戻ってな、隠居のお許しを得たうえで、こんどは関白と一緒にこの城へやって来る」 「関白と一緒に・・・・?」 「そうじゃ、殿がこんど上洛されて、関白はなんと言われるかなど、この作左には見通しじゃ。むろん殿がそれに何とお答えなさるかもわかっている。関白は徳川家の城を、岡崎、浜松、駿府と、わが家のように渡って来よう。その関白の身辺に、徳川家の頑固な隠居がひとり蛭
のように吸いついて離れない・・・・ハハハ・・・・どうじゃ平助、面白かろうが」 彦左衛門は唖然
として老人の蟇 に似た顔を仰いだ。 (なるほど、これは変わってる・・・・) 以前、大政所が岡崎へ来た折に、その仮り御殿の周囲へ薪を積みあげ、秀吉が少しでも家康に無礼を働いたらすぐさま火を放って焼き殺すぞと脅迫した作左衛門であった。 大政所からその折の心細さを聞かされて、秀吉はカンカンになって怒っているという。 それだけに、隠居のことを口にしたとき、家康もそうだったが、平助もまた、 (・・・・秀吉への遠慮だな) そう解したのであったが、どうやらこの老人はそんな殊勝な老人ではないらしい。 それにしても、秀吉がやって来たら、蛭のように吸いついて離れないとはまた、なんという嫌がらせに徹した臍
まがりであろうか。 事によると秀吉までを脅迫する気で、それで隠居を願い出たのかも知れない・・・・ 「なるほど面白いお人だご老人は」 「フフン」 「またフフンか、それが出たら後は言うまい。よし、寝酒の用意ができたころ、これへ膳を運ばせましょう」 「それはありがたい。もう、少しばかりしゃべり過ぎたわ」 彦左衛門は手を鳴らして女たちに酒を運ばせると、すぐまたみんなを退けて、自分で酌をしてやりながら、肚の底からおかしさがこみあげた。 べつだん意味はない。ただここに、 (秀吉など、少しも恐れぬおかしな親爺がひとりいる) そう思っただけで、無性にあたりが晴れがましく愉快であった。 |