いま関東へ国替えの話だ出たら、おそらく家中
の九分九厘までは反対しよう。 といって、家康がそれを承知したとなれば是非もない。みな、激しい不平を抱いて従うことになってゆこう。 そのときが徳川家の一大危機だと作左衛門は案じている。すでに九州にその前例があった。 佐々
成政 は肥後に移封されて、これを又とない出世と喜んだ。ところが、その地の切支丹
は彼の命に従わず国中へ一揆を起こして騒動した。そうなると秀吉はその罪を責めてついに成政を自決させてしまっている。 いま北条氏は前例のない総動員を計画し、百姓町人の末に至るまでことごとく武器を与えて猛訓練をほどこしている。 そうした旧小田原領へ入って、家臣の統一が取れなかったら、それこそ肥後の二の舞いどころか、一揆や騒動の鎮圧だけで手いっぱいになるだろう。 「なるほど、これは、油断のならぬ大陰謀じゃ」 彦左衛門が、もう一度感嘆すると、作左はフフンと笑っていった。 「陰謀などというものではない。それが戦国の常識なのじゃ。弱みを見せる者は、まことどこかに弱さを持っている。弱さを持つ者は必ず滅びる・・・・その間に何の不思議も特例もない」 「すると、国替えはあっても、お家の弱みを見せぬ手段・・・・それをめぐらしておかねばならぬと言わっしゃるのずあな」 「そうじゃ」 作左衛門は大きくうなずいて、またじっと彦左衛門の幅びろい鼻を睨んでいった。 「関東へ移れば、表向きはとにかく大大名じゃ。八ヶ国か十ヶ国の主になる。そこじゃ平助」 「そことは?」 「功臣、老臣が、みな国持ち、城持ちになれるほどの大分限
・・・・と、もし先に思うたら大違い!方々へ騒ぎが起きだしたら年貢は取れず費
は無限。領地が広大だけにたちまち身代
限りになってゆこうぞ」 「たしかに!」 「そうなっては、秀吉ならずともつけ入ろう。そこでじゃ、富もいらぬ。名誉もいらぬ。生命もいらぬでもう一働き、家中一統身を粉にして働き直す覚悟がなければ関東移封は実を結ばぬ。どうじゃ平助、余人のことはおいて、おぬし一人だけでも、その覚悟はしっかりとできそうか」 「フーム」 と、平助は唸った。 唸りながら例の調子で、 「ご老体は、できているのじゃな。そのお覚悟が?」 作左衛門はギロリと相手を見返して、 「わしにできておれば、おぬしもすると言うのか」 「いかにも、ご老人には負けられぬ」 「それを聞いて安堵した。わしはできておる」 「それでは彦左もつかまつる」 そう答えてから彦左衛門は指をくった。 「富、名誉、生命の三つか」 「そうじゃ、富が欲しいと思えば移封の後、殿の下さる禄高に不平が起こる。不平があれば秀吉からの名誉を餌
の誘惑に弱くなり、ついに生命も惜しむ道理じゃ」 「ご老体!」 「まだ腑におちぬところがあるか」 「すると、ご老体の隠居は、その覚悟の第一着手なのだな?」 作左は答える代わりにまたフフンと大きく笑った。 |