〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/02/01 (水) 小 田 原 進 撃 (三)

(もはや、本多作左衛門は老いすぎた・・・・)
かっては鬼作左で充分家中の押えになったこの老人も、今ではただ頑固一徹な、それも事ごとに家康に楯をつく奇妙な存在に浮き上がってしまっている。
そうした老人は作左ひとりではなかった。現に今日は同席を遠慮させている酒井左衛門督さえもんのかみ 忠次ただつぐ もそうであった。
この方は家康の叔母を妻にしている関係もあって、作左よりもさらに倣岸ごうがん であった。
作左は、家康だけに喰いつくような語勢で皮肉を浴びせて来るだけだったが、忠次の方は家康よりも家中の誰彼を叱りとばした。
家中の者に威張りちらされては隠居を命じるよりほかにない。
(その意味では、作左はまだまだ・・・・)
見どころもあり、思慮も深く、人間の幅もできている。
そう思って同席させたのだが、そろそろ彼の存在も、時勢の並には添いかねる硬直期に入ったらしい。
「ハハハ・・・・爺がまた思いきったことを かしたぞ。一口に言えば爺の言うとおりじゃ。ただ腰が抜けたのではなくて、それが日本国のためと断じて、この家康が命じるのじゃ。今までのことはこれで決まった! その先のことで、何か意見があらば申せ」
作左はもう一度フフンと笑った。
しかし、今度は何も言わなかった。
(殿の肚などおれにはよくわかっている。誰も何も言わずについてゆけ)
そう皮肉ってやりたかったが、家康の語気の強まりから考えて、その必要はなさそうだと判断した。
評議は作左の言うとおり、家康の思いのままに進み、思いのままに決まっていった。
とこどき誰かが口を挟んでも、家康は、いつもそれを圧するように自分の意志を通してゆく。
家康の上洛は十二月七日と決まった。
そして十日には今日へ着いて秀吉と協議し、茶屋四郎次郎の手を通じて女院にょういん に黄金十枚を献じたうえ、ただちに駿府へ戻って戦備にかかると決定された。
そうすれば秀吉からも必ず秀忠の年内上洛は必要ないと止めて来る。それで徳川家の面目を立てておいて、秀吉が上洛すまいと思っている正月三日に、すすんで秀忠を上洛させ、秀吉に疑心を起こす暇を与えない。
それが、北条と言う親類の征伐に向かううえに、ゼヒ必要な打つべき手なのだと家康は説いた。
作左衛門が黙っているほどなので、誰も異議を挟む者などありようはずはない。
すらすらと事は決まって、みなは退いた。
酒どころか茶も湯づけの振る舞いもなく、腹の いた者は、それぞれ控えの間で勝手に食って帰れと言う扱いだった。
みながそれぞれ緊張して座を立つ中で、作左衛門だけは起たなかった。
いつの間にか作左は膝の上に首を垂れて居眠りをはじめている。
「爺、用は済んだ。起きよ。起きて帰れ」
そう言うと、作左衛門はキョトンとした表情であたりを見廻して、
「殿はいま、何と言わっしゃったのじゃ。わしはちかごろ耳が遠くなって聞きおとしたが」
皮肉な猫撫で声で座り直した。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next