「それは、よく殿下が口癖のように申される。高麗
から大明国への出兵のことか」 家康は笑いながら聞き返すと、光悦は、じっと眼を見据えたままで首を振った。 「では、そのほかに、まだ大きな戦の恐れがある・・・・と、こなたは申すのか」 光悦は、チラリと四郎次郎をふり返って、 「茶屋どの、もう一つだけ、お館さまに、失礼な私見
を申し上げてもよろしゅうござりましょうか」 四郎次郎は、待っていたようにうなずいた。 「ゼヒとも、お話し申し上げていただきたいもので」 「それでは、これは、どこまでも私の意見、私の不安でござりまするが、お館さまに、南蛮諸国のご事情をお話し申し上げるバテレンか何かござりましょうか」 「いいや、そのような者はないが・・・・」 家康は光悦が、何を言い出そうとしているのかと、思わず上半身を脇息にのり出した。 「南蛮諸国・・・・と、俗に申しまするが、これはヨーロッパと申す切支丹信仰の国々のことでござります」 「なるほど」 「そこには、ポルトガル、イスパニアなど、わが国にもバテレンを送って来ております国々のほかに、イゲレス、オアランダ、フランス、オロシャなどという、たくさんの国がありますそうで」 「ほう・・・・」 「その国々の人々は、ヨーロッパでは誰が関白殿下になろうかと、血眼
になって競い合っている。そして、天竺
からこっち、日本までの国々を争って分け取りしだしているということ、お聞きなされたことはござりませぬか」 「聞いてはおらぬが、ありそうなことじゃのう」 「それでござりまする。関白殿下も薄々そのことにお気づかれて、バテレンたちをご追放なさることにいたしました。ところが、そのバテレンの一人が、口惜しがってこう申しましたそうで・・・・」 「何と申したのじゃ!?」 「いまに見よ。関白をヘトヘトに疲れさせて勝ってやるからと」 「ほう・・・・どうしてヘトヘトに疲れさせる・・・・と、手段も申したか」 「申しましたそうで。関白を煽
って、高麗から大明国へ攻め込ませる・・・・さすれば関白も勝つどころか、広い大陸でさんざんに引きまわされてヘトヘトにばってゆく。いや、日本ばかりか大明国も高麗もみな疲れ切ってヨーロッパの分け取りは意のままじゃと」 家康は、思わず息をのんで身をのり出し、しかし、その狼狽ぶりをあやうく押えた。 同じ日本の国内に棲
む光悦の言葉ではないか。それが事実とどうして軽々に信じられよう。 (しかし、あり得ない事ではない・・・・) そう思うと、ゾーッと背筋が寒くなった。 「ハハ・・・・光悦は、おもしろいことを申す男じゃの」 「そのような話もござりますれば・・・・お耳に入れておいたがよいかと、とんだ饒舌
をもてあそんだ次第でござりまする」 「面白かった。ヨーロッパにさような国々が争うてあれば、ないとは言い難い話のようじゃ。互いに視野を広うして充分用心してゆこうぞ」 言いながら家康は、もう一度心のうちに小田原の北条父子の面影を思い描いていた。 (なんとか、時勢を説いてみねば・・・・) |