堺や九州のあちこちに、南蛮船がやって来るということは、ただ、船が来たという現象だけと考えてよいことではなかった。 船をよこすだけの力のある者が、彼らの背後に控えている・・・・ 少なくとも世界の海を乗りまわそうというのだ。その背後の勢力は想像以上に強力なものに違いない。 (そうした時に、まだ小田原では・・・・) また、茶屋四郎次郎が口を開いた。 「本阿弥どのは、彼ら南蛮人の目的が、交易や布教だけではないようじゃと、こう申すのでござりまする」 「なるほど」 「と言って、国中が一つにまとまってありさえすれば怖れることはなく、そのまとめ役に、関白殿下と肩を並べるほどのお方が欲しい。それがこれからの日本国の運不運を決めるであろうと・・・・」 「いや、お待ち下さい茶屋どの」 光悦はテレた様子で四郎次郎をさえぎった。 「せっかく、信長公以来のご苦心が実って、とにかく戦乱はおわりかけた。その仕合わせを外から突き崩されては意味がない。そこでどこまでも内から立正
の実をあげなばならぬ・・・・と、こう申すのでござりまする」 「ただのまとめ役ではなく、立正の心を奉じたお人・・・・と、こう言われるのじゃな?」 「その立正が、まとめ役・・・・それ以外にはまとめ役はない・・・・と、こう存じますので」 家康はうなずきはしたが、改めて質問はしなかった。 家康自身の眼もすでに光悦と同じところを見つめている。あえて他を語るまでもなく、家康自身の経て来た過去が、そのまま
「平和」 の尊さを示す鏡でさえあった。 祖父の清康は二十五歳で陣没した。 父の広忠もまた二十四歳で、家臣に刺された傷が原因で果てている。 正妻の築山
御前のみじめな最期も、嫡子
信康 の哀れな生涯も、みな乱世の求めた犠牲であった。 いや、それよりもさらに哀れに想い出されるのは、祖母の華陽院
の生涯だったと言える・・・・ (いったい彼女の一生のどこに光があったであろうか・・・・?) しかも、その不運の糸はまだ完全には断
ち切れず、家康の二女の督姫
はいま、小田原の氏直に嫁いで戦乱の風の匂いにおののいている。 督姫だけではない。現に家康が、聚楽第へ伴って来ている朝日御前など、関白の妹に生まれていながら、すでに生ける屍
ではなかったか。 (ここらで乱世の糸を断
たねば・・・・) 断ってくれと、祖父も、祖母も、父も、妻子も、みなひとしく家康に迫っている・・・・ 「光悦」 「はいッ」 「今宵はよい心の糧
を得た」 「お恥ずかしゅうござりまする」 「わしも、こなたの言う、立正を心掛けよう。こなたもその心を市井
のうちにひろめてくりゃれ」 「ありがたき仰せ、光悦心に刻んで努めまする」 「茶屋、造作
をかけたのう。では学者のこと、頼んでおくぞ」 家康が起ちかけると、小栗大六が、あわてて立って供揃
えを命じてゆく。 光悦は平伏したまま、また刺すような眼になってじっと家康の後ろ姿をみつめていた。 |