家康は心の底から楽しくなった。 光悦は決して追従
の言える性質の男ではない。それどころか、彼はハッキリと今日の大茶会をあざ笑っている。 彼に言わせたら、これもまた根本に 「立正 ── 」 の願いが欠けているゆえ無駄なことだと言いたいのであろう。 それにしても、世間から吝嗇
とさえ評されている家康の心を、これほど的確に理解してくれている人間がここにあろうとは・・・・ 家康が家中の強さは、家康自身の質素さにあった。家康は決して家臣の誰彼よりもおごってはいない。 いや、奢
る者の統率力は知れてあった。よりよく統率するためには、さらに奢らせ、さらに加俸せねば納まらなくなってゆく。与え得る領地が無限ではない限り、この統率力はやがて限界に達してバラバラに崩れ去ろう。 家康が頼朝以来の鎌倉の歴史に学ぶところはここであった。わが身の質素さを示して足らぬを嘆かせぬところに団結と希望が生まれてゆく。 不平はあらゆる場合に、停滞のもとであり分裂のもとであった。 若い光悦が、それを
「立正 ── 」 という言葉でハッキリと説明したのは楽しかった。 「そうか。わが家の味噌汁は底がすいて見えるほどか」 「いささか図に乗りました。お許し下さりませ」 「何の、家康はこれほど褒められたことはない。今日のこなたのその褒美を、ゆるむ心の帯にそようぞ」 「恐れ入ってござりまする」 「なるほどのう、贅沢はあらゆる無理のもとになるか」 家康は、小栗大六と茶屋を見やって、愉快そうに笑った。 「どうじゃ両人、明日から粥を啜るかの」 茶屋四郎次郎は、これも頼母
しそうに光悦を見やって、 「本阿弥どのは、いつも政治は納得だと申しまする」 「いかにものう」 「納得させるもとは立正・・・・わが身からまず行のうて民にすすめる。その意味では、関白殿下は民から離れかけていると申されまする」 「ふーむ」 「黄金の茶釜は誰にも持てませぬ。誰にも持てぬものを持っていてする大茶会は、より貧しい人々にわが身の劣りと不運さを植えつける。それではただの好事
家 の仕業
であって分裂を恐れる政治ではないと申しまする」 家康はもうそのときには答えなかった。 秀吉の政治には、たしかにそうした誤りがあるようだった。 事ごとに威圧で諸侯を納得させようとする。軍事はそれでよい。相手の武力を萎縮
させれば、戦わずして勝つことも出来よう。 しかしそれはどこまでも威圧であった納得ではない。圧
えられた平和であって、まことの平和とは言い難い。 (世の中に、果たしてそうしたまことの納得、まことの平和があり得るものであろうか・・・・?) 家康の考えは、もう光悦を離れて、ふたたびわが身の処し方に戻っていた。 |