〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/01/31 (火) 立 正 夜 話 (四)

「そうか。こなたの母御は、絹物着物とせずに皆にwかつか」
家康に言われて光悦はもう一度笑った。
「老母に言わせますると、それがまことの茶の心のようにござりまする」
「なるほどのう、ではもう一つたずねたい。よいか、決してこなたを試しているのではない。家康自身、よい導師に出会うたつもりで訊ねるのじゃ」
「これはまた、もったいないことを!」
「こなたならば、あの大茶会の代わりに何をやるぞ。世が太平になった喜びに・・・・」
「されば」
と、光悦は考えて、
かゆ 供養くよう をつかまつりまする」
「粥供養とは?」
「洛中、洛外の寺院の庭に大釜を据えまして、当日は市民の老幼と共に粥をすすって過ごしまする」
「ほう!」
「関白もない。花子かし (乞食) もない。町人もない。武士もない。みながおなじものをすす りおうて新しい世に出発する」
「こなたの夢は、大きいのう」
「はい、そしてその折みなに申してやりまする。かくのごとく、釜の用意もあり、非常のおり、飢饉ききん のおりのために米も積んである。これは天子のめい にて、この釜、米ともに関白がしかと預かりおくゆえ、安堵して家業に精出すよう。そしてその方たちが、みなぬく い飯にありつくまでは、関白自身、今日のこの粥、おしいただいて啜りつづけようぞと」
家康は、あわてて訊き返した。
「光悦よ。すると、関白は、毎日粥を食して過ごすのかよ」
光悦はまた無邪気に笑った。
「それが、立正の根本かと心得まする」
「フーム」
「民よりおごって民に命令するは無理を いるもの。無理が通れば世は乱れまする。市井しせい の風下なればいざ知らず、選ばれて関白となるほどのお方ならば、そのくらいの我慢がのうてはかないませぬ。万民の富むまでは節倹第一・・・・みなが空腹をなくしたおりに寺院を建て、さらに歩をすすめて茶会もよし、花をかざして踊るのよし・・・・」
「わかった。わかったぞ光悦」
家康は額をおさえて手を振った。
「いやはや、 きび しいのうこなたの意見は。武士はみずから耕さぬ。耕さぬものがおごりにふけっては民の負担・・・・家中にそう教えて、麦飯食うておる家康も、こなたに言わせると贅沢ぜいたく じゃ」
「恐れ入りました。その儀について光悦に感懐がござりまする」
「なに感懐があると」
「はい、光悦がお館さまを敬慕いたしまする第一の理由は、お家に参上いたしましたおりの麦飯にござりまする」
「なに、わが家の麦飯が気に入ったと申すのか」
「恐れながら、味噌椀もまた底がすいて見えまする」
「手痛いことを申すのう」
「しかし、それを頂戴いたすたびに、光悦はこれあるかなと存じ、胸が熱くなりまする」
そう言うと、光悦の眼は真実うるんでくるのであった。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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