寧々は、またしても笑うよりほかになかった。 悪戯
を許された子供そのままの秀吉が、腹立たしくもあるがいじらしくもあった。 「身分相応と言えば、どのような扱いがよいかのう」 「それは殿下がお考えなされませ」 「うむ、阿茶々はあれでなかなか勝気な、それだけ賢
さも持った女子じゃ。おそらくこなたに次いでわしの心にかなうであろう」 「ホホ・・・・」 「また笑うのか。笑うな、わしは、いつも正直にものを言うておるのじゃ」 「ハハ・・・・あまり正直ゆえおかしくなりまする」 「いやいや、人間に賢すぎるということはない。男にせよ女にせよ、賢いに増したことはない。がこなたに比ぶればやはり阿茶々は劣っておる。それはやむないことじゃ。こなたが優
れすぎておる」 寧々が、ひやりと鋭く、 (わらわは大坂へ帰ろう) そう思い定めたのは、この無邪気な追従
を良人の口から聞かされた時であった。 やはり寧々には大坂城が秀吉の人生の頂上の城であり、そこにあってこそ自分は秀吉の正妻であり得るのだと反省された。 「ではとにかく、おの大奥の局
をひとつ阿茶々のものと決めてやっての、有楽に大坂から呼び変えさせるよう手配をしよう。あれは決してこなたに楯突くようなことをする女子ではない」 秀吉は寧々の気持の変わらないうちに、例の強引
さで一気に押し切ろうとあせっている。 「よいかの、こなたの事もの、わしはよく考えておるのじゃ。まずこの聚楽第に主上の行幸
を仰ぐこと。そして次にはその礼として、こなたの名で禁裏
において御神楽 を奉納すること。そのあとで禁裏からこなたに従一位の宣下
があるはずじゃ。そのときの名前のことじゃがのう寧々」 寧々はいぜん微笑をうかべたままで、よく動く秀吉の唇辺を見つめている。 「寧々というのは愛くるしい女童
という意味の俗称で、従一位北の政所の名としては少々おかしい。そこで公家風
に吉子 と名乗ってはどうであろうな。従一位豊臣吉子・・・・むろん吉子の吉は秀吉の吉じゃ・・・・」 「・・・・・・」 「こなたに異議がなければ、蔵人頭
の左近衛中将まで、その旨内奏させておこうと思うがの」 「・・・・・・」 「とにかくこれからが、われら夫婦にとってもわが世の春じゃ。振り返ってみれば長くも辛い人生であったがの」 「・・・・・・」 「おや、寧々はどうしたのじゃ?
眼にいっぱい涙をためておるではないか。あ、落ちた一粒・・・・これは、何としたのじゃ寧々!?」 寧々はたまらなくなって、面
を伏せた。 これほど自分のために気を使う良人が哀れでならなかった。関白太政大臣豊臣秀吉・・・・その不世出の偉人とたたえられたいる良人に、これほど気を使わせる自分はいったい、何という幸福な女子なのであろうか・・・・?
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