〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2012/01/08 (日) 人 生 の と げ (三)

寧々の勝ち気さ、鋭さは有楽もよく知っている。それだけに、いつかこうしたこともあろうかと、あれこれ言い解くすべを考えていたのだが、なぜは素直には口に出て来なかった。
孔雀問答で、あまりあざやかに斬り込まれたせいかも知れない。
「なぜ黙っておいでなさる。有楽どののことじゃ、ああした場合はこう、こうした時はああと、みなご思案はあるはずじゃ」
「それが、今度ばかりは、ございませんので」
「なぜであろう。こなた様らしくもない」
「はい。あまりに殿下が思いがけないことをあんさったせいでござりましょうか」
「フン」 と、寧々は鼻の尖で笑った。
「殿下のはし まめなこと、こなた様もご存知であろうに」
「それが、うかつと申しましょうか、つい先ごろまで、とんと知らずに参りました」
「先ごろ・・・・とは、いつのことじゃ」
「は・・・・はい・・・・それが・・・・」
「二月や三月のことではありまい。殿下が九州へお出かけなさる以前のこと・・・・そうであろう」
「は・・・・はい。しかし、そのころには、まさかそのようなこととは・・・・」
「言いわけはよい。できてしもうたことは後始末が大切じゃ。こなた様に、すぐさまそれをわらわに相談する心があれば、とうに片づいていたものをなあ」
「は・・・・はい。何分、半信半疑でおりましたゆえ、つい申し上ぐる機会を失いまして」
「有楽さま」
「は・・・・はいッ」
「こなた様は、この寧々よりも殿下の方がくみ しやすいと見られたようすじゃな」
「それは・・・・いったい、何のことでござりまする」
「こなた様は、茶々どのが懐妊された・・・・と、殿下には申し上げたのであろう」
「いいえ、それは・・・・」
有楽の額にはついに小粒の汗がキラキラと光りだした。
(こんなはずではない・・・・)
たかが女子おなご ひとり、秀吉のがわ から押させたら、手もなく屈服するであろうと思っていたのが、わずかの手違いから逆になった。
秀吉がまだ寧々に打ち明けないうちに、寧々の方から呼びつけられてしまったのだ・・・・
「いいえ・・・・と、言われると、そのようなことはない。懐妊などはしていないと言うのじゃな」
「そ・・・・それが」
「それがどうしたのじゃ。こなた様らしゅうもない。なぜそのように語尾を濁される? まさかこなた、懐妊などしておらぬものを、したかも知れぬなどと、殿下をいつわ ったのではあるまいなあ」
「北の政所さま・・・・」
「聞きましょう。こなた、殿下に何と言われたのじゃ。行列に加わるはずの阿茶々どのを、どうしてそれからのぞ いたのじゃ」
「政所さま」
有楽はもう一度 き込んで寧々の鋭鋒えいほう をおさえてから、
「改めてご相談申し上げまする。いったい茶々をどのように扱うたらよいのでござりましょう。さすがの有楽もこれにはホトホト手を焼きました」
それは有楽の本音であり、また巧みな逆襲であった。 

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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