「なに、茶々が懐妊」 秀吉は、飛び上がりそうになって、あわてて脇息
にしがみついた。 「そ、それはまことか有楽!?」 有楽は視線を庭へ向けたままで、 「むろんまだハッキリとは・・・・何分、これは殿下のご秘事ゆえ、有楽よりは、殿下の方がお心当たりのあることかと」 「じらすな有楽」 「まことのことを申し上げましたので」 「茶々がこなたにそう申したのか」 「はい」 「何と申したのじゃ。ハッキリいたせ」 「もし懐妊しておりましては、胎
の和子 に済まぬことになるゆえ、行列に加わりとうない・・・・と、こう申しました」 「老女どもは!?
このようなことは、老女どもの方が、先に感づくものじゃ」 「恐れながら、老女どもにまでこの有楽からは尋ねられませぬ。いまだ、表向きのことではござりませぬゆえ」 秀吉はもう一度いまいましげに舌打ちした。 「すると・・・・すると、胎の子にさわっては一大事ゆえ、行列からのぞいてくれと言うのじゃな」 「胎の子にさわる・・・・それ以外にも姫の申し分には大きな意味がござりますようで」 「どのような意味じゃ。わしは頭の中が火のようになって来た!わしに子供ができる・・・・五十過ぎて子供が・・・・そんなことをいきなり言われたとて、とっさに思案の決めようはない。いったい茶々は何を考えているのじゃ」 「自分でまだハッキリとはわかりかねる。が、万一懐妊してあらば、いまだ側室とも決まらず、大政所や北の政所の侍女ともつかぬあいまいな身分で行列に加わっては、生まれ出て来る和子に済まぬとこう申されますので」 「それは道理じゃ!
秀吉の子の母ともばればのう・・・・」 「それが母となる身・・・・と、はっきり分明
はいたしませぬので、それとなく行列からはご免をこうむりたい。もしまた、是非とも加われと仰せあらば、それ相当のお扱いにてと・・・・」 秀吉はもう有楽の言葉をよく聞いてはいなかった。 よく聞いていたら有楽の言葉にはいかにもあいまいなところあるのに気づいたろう。 上洛の行列を口実にして、茶々の身分をハッキリさせようという、有楽自身の知恵かもしれない節がある。 懐妊・・・・という、どぎつい言葉を使いながら、確かかとただすと、いつでも煙にできそうな陣備えだった。 しかし、言われた秀吉は動転
していた。 人間にはやはり誰にも弱点はあるものだった。そのかみ、北の政所は長浜
で一度懐妊したことがあった。そのときに秀吉はうろうろしたものだった。生まれた子供はしかし、天正四年 (1576) の十月十四日に早世した。その名は亡くなった実子の代わりに貰い受けた信長
の四子、秀勝 とおなじ名で、長浜の妙法寺
に葬られ、本光院
朝覚 居士
とおくりなされている。 それ以来、何としても秀吉に子供は出来ず、今ではわが身に子種
がないものとあきらめきっている。 その虚を有楽が衝いたのだとすれば、有楽の人の悪さは想像以上、もし茶々が本気で言っているとすれば、これは鋭い茶々の発見とも言えた。 とにかく秀吉は額
にいっぱい汗をふかしてあわてている・・・・ |