もはや日本中は秀吉の掌中におさめられたも同様だった。 小田原のこともすっかり腹案は出来ている。 北条父子に率直に上京をすすめていって、上京すれば国替え、しなければ九州征伐と同じような気持で花見がてらの一戦を催
せばそれでよかった。 その点では上洛して来た家康と会見して、家康の肚も充分に確かめている。家康は決して北条氏に味方して、秀吉の偉業に楯つくほど愚かではなかった。 今では彼もむしろ北条氏の滅亡を望んでいるとも感じられた。 理由は言うまでもなく、日本の狭さである。 北条氏ひとりが頑迷
に抵抗してみても、それはものの数ではなく、悠々と彼を倒してゆけば関八州
と言う新領土ができて来る。 (この新領に家康を移してゆく・・・・) すると、今の家康の所領、三河
、遠江 、駿河
の地が空き家となる。 そこへ織田
信雄 を移しておいて、尾張
以西はがっしりと腹心
で固めてゆく。 あるいは信雄が、尾張を離れることを、祖父の地として不満を唱えたら、これも望外の仕合わせであった。 (そのときには、もはや手も足も出ぬような小国に移してやって、命脈だけを得させて行けばそれでよいのだ・・・・) しかし、そう計算していっても、まだまだ功臣たちを充分に満足させるほどの封地
はない・・・・ その事を知りすぎるほどに知っているので必要以上に秀吉は、北の政所のいう、 「人をおどろかすこと」 を、企
んでいるのかも知れない。 そもそも人数に比べて国が狭い。わかつべき褒美
の土地が足りないので、自分の威力必要以上に誇示して、 (── 不平は申すな。不平を言ってもこの秀吉が通さぬぞ!) そんな意識がどこかに潜在して働いているのかも知れなかった。 (そろそろわしも
頂上に来ているのではあるまいか?) そう思うことは秀吉の性格からはたまらないことであった。 この頂上感は、彼にいままでに抱いて来た 「太陽の子」
の自信とひどく衝突する。 太陽を見よ。日々昇って、日々万物を育成しながら、つねに高く輝きわたっているではなか。 「ふーむ」 秀吉は脇息に頬杖ついて大きく唸
った。 「戦があればのう、退屈はせなんだが・・・・」 眼の前の敵をどうして翻弄
し、どうして屈服せしめるかとなると、もろもろの知恵が泉のように湧き出して、みる間に全身が活気でふくれあがって来る。 その意味で秀吉は、古今
無双 の 「勝負師」
の一人であった。が、さてその戦乱が治
まると、戦場にあるときほどの心の張りも刺戟
も経験できなかった。 (頂上ではない。秀吉に頂上などあってたまるものか!) と、そこへまた小姓が接見希望の来訪者の名を告げて来た。 「申し上げます。織田有楽斎
さま、お目通りを願い出て参りましたが」 「なに有楽が・・・・」 秀吉はホッとして 「通せ」 と小さくうなずいた。 |