〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2011/12/26 (月) 頂 上 (九)

もはや日本中は秀吉の掌中におさめられたも同様だった。
小田原のこともすっかり腹案は出来ている。
北条父子に率直に上京をすすめていって、上京すれば国替え、しなければ九州征伐と同じような気持で花見がてらの一戦をもよお せばそれでよかった。
その点では上洛して来た家康と会見して、家康の肚も充分に確かめている。家康は決して北条氏に味方して、秀吉の偉業に楯つくほど愚かではなかった。
今では彼もむしろ北条氏の滅亡を望んでいるとも感じられた。
理由は言うまでもなく、日本の狭さである。
北条氏ひとりが頑迷がんめい に抵抗してみても、それはものの数ではなく、悠々と彼を倒してゆけば関八州かんはっしゅう と言う新領土ができて来る。
(この新領に家康を移してゆく・・・・)
すると、今の家康の所領、三河みかわ遠江とおとうみ駿河するが の地が空き家となる。
そこへ織田おだ 信雄のぶかつ を移しておいて、尾張おわり 以西はがっしりと腹心ふくしん で固めてゆく。
あるいは信雄が、尾張を離れることを、祖父の地として不満を唱えたら、これも望外の仕合わせであった。
(そのときには、もはや手も足も出ぬような小国に移してやって、命脈だけを得させて行けばそれでよいのだ・・・・)
しかし、そう計算していっても、まだまだ功臣たちを充分に満足させるほどの封地ほうち はない・・・・
その事を知りすぎるほどに知っているので必要以上に秀吉は、北の政所のいう、
「人をおどろかすこと」
を、たくら んでいるのかも知れない。
そもそも人数に比べて国が狭い。わかつべき褒美ほうび の土地が足りないので、自分の威力必要以上に誇示して、
(── 不平は申すな。不平を言ってもこの秀吉が通さぬぞ!)
そんな意識がどこかに潜在して働いているのかも知れなかった。
(そろそろわしも 頂上に来ているのではあるまいか?)
そう思うことは秀吉の性格からはたまらないことであった。
この頂上感は、彼にいままでに抱いて来た 「太陽の子」 の自信とひどく衝突する。
太陽を見よ。日々昇って、日々万物を育成しながら、つねに高く輝きわたっているではなか。
「ふーむ」
秀吉は脇息に頬杖ついて大きくうな った。
「戦があればのう、退屈はせなんだが・・・・」
眼の前の敵をどうして翻弄ほんろう し、どうして屈服せしめるかとなると、もろもろの知恵が泉のように湧き出して、みる間に全身が活気でふくれあがって来る。
その意味で秀吉は、古今ここん 無双むそう の 「勝負師」 の一人であった。が、さてその戦乱がおさ まると、戦場にあるときほどの心の張りも刺戟しげき も経験できなかった。
(頂上ではない。秀吉に頂上などあってたまるものか!)
と、そこへまた小姓が接見希望の来訪者の名を告げて来た。
「申し上げます。織田有楽斎うらくさい さま、お目通りを願い出て参りましたが」
「なに有楽が・・・・」
秀吉はホッとして 「通せ」 と小さくうなずいた。

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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