〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2011/12/21 (水) 頂 上 (六)

長政は渋い表情のまま二の句がつげない想いであった。
自分も話を曲げていったが、秀吉の受け取り方はまた何という見当違いの逸脱いつだつ ぶりであろうか。
寧々は、近ごろの秀吉に頂門ちょうもん一針いっしん を加えるつもりらしいのに、秀吉は全然逆に自信を高めている。
(まるほど、これでは距離がありすぎる・・・・)
琵琶びわ 法師ほうし のよく言う、おごる平家は久しからず・・・・という一語が、ちらりと長政の胸をかすめた。
「よし、寧々の思いのままにさせるがよいわ」
秀吉はすっかり上機嫌になって、
「では荷輿の数はさして減らすに及ぶまい。男どもは、僧侶に至るまで見物はならぬと布令ふれ させておけ」
あっさりと寧々の申し出を聞き入れられて、長政は心でうろたえていた。
これでよかった! とにかく風波は起こらずに済む・・・・そう思いながら胸の中に大きなしこりが残ってゆく。
「治部は退さが ってよい。長政はほかにも用もあればしばらく残れ」
秀吉は、再び以前の事務的な口調に返って、三成が去ってゆくと声をおとした。
「長政、寧々は、何が気に入らぬのじゃ?」
不意を突かれて長政は 「あっ」 と言った。
(事は済んだ・・・・)
そう思ったのは長政の早合点で、どうやら秀吉は三成に聞かせたくないため、わざわざ答えをよそおったものらしい。
「おこと の顔に、気にかかることがあると書いてある。秀吉の眼は節穴ふしあな ではない。何を言われて来たのじゃ」
「はッ、それが、少々・・・・」
「言いにくいことを申したか。嫉妬かもと は?」
長政はゆっくりと首を振った。
「では、わしのやり方が派手すぎると申すのか」
「いいえ、それだけでも・・・・」
「ふーむ。すると、何か大名どもの中に気にかかる動きでもあると申すか」
「それが、殿下ばかりへのご不満ではのうて、われわれ側近の無能に対する叱声しっせい とも」
「なに。みなの無能に対する・・・・」
「はい。殿下のなさることは、一にも二にも人をおどろ かそうとなさることばかり。愕かすよりほかに能はないのか。それでお側の者の役目が立つのかと仰せられました」
秀吉はフフンと鼻の尖で笑った。
「そのようなことか」
「はい、そのいなことで」
「いかにも秀吉は、人を愕かせ、他人を奮い立たせるために生まれて来たのじゃ」
「なるほど」
「百姓の子から天下を取った。それがいま、日本中にいくさ をなくする根本策を思案中じゃ」
「・・・・・」
「これからもし戦があるとすれば三つの場合が考えられる。その一つは、誰かが秀吉の命に従わざるとき・・・・しかし、それはもはや問題にはならぬ。誰も秀吉の討伐勢に歯の立つ者はない。さすれば原因は二つにしぼられる」
長政は小首を傾げたままじっと秀吉を見上げていった。寧々も彼には想像も出来ない鋭敏さがあったが、秀吉もまた、何を言おうとしているのか、まるきりつか みようのない飛躍を見せる・・・・

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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