〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2011/12/21 (水) 頂 上 (五)

本丸二層の秀吉の居間では、いま家康を送り出して戻って来た秀吉が、けわ しい表情で石田いしだ 三成みつなり に何か命じているところであった。
長政はギクリとした。
治部じぶ 、政治というものはな。民を喜ばす・・・・ただその一事に尽きるのじゃ。 び茶をすすめて何が悪い。どれほどのついえ がある。一椀の茶を喫する・・・・それを風流と心得て、深く宇宙のありようや人生を考えさせる・・・・少しも悪いところはあるまい。察するところ、治部は利休りきゅう と肌が合わぬのじゃな」
石田三成は、長政が入って来たので、それなりその話にはふれなかった。
「家康とて、ああしてしだいに心を許して来るではないか。何の茶会で彼に軽んじられなどするものか。それよりも切支丹の者どもの一揆のことなどよく調べよ。信ずるなというのではない。無知な民を扇動せんどう して、わが野心をみたそうとする不心得者は、まことの信者とは認め難いによって処分せよと申すのじゃ。それと茶会と混同するな」
長政は、秀吉の言葉の端から、何が話されていたかを想像しながら三成の上座に並んだ。
「長政か、北の政所のご機嫌はどうであった?」
「はい。それが・・・・」
ここで話すのは、まず くはあるまいかと逡巡ためらい のいろを見せると、
「何が気に入らぬというのじゃ。申してみよ」
秀吉がもう先を読んで、いっそう眉をけわしくした。
「率直に申し上げますると、行列の美々びび しすぎるは心苦しい。世間に遠慮して、質素になさりたいとのご希望にござりまする」
「なに遠慮! わしが、誰に遠慮がいるのじゃ」
「私は、北の政所さま、ご意見をお取り次ぎ申し上げておりますので」
「フン、それもよかろう。世間をはばかって見せるも床しいものじゃ。それでは荷輿にごし の数二、三十も減らしておけ」
「次に・・・・」
「まだ、何か申したか」
「女たちの多い行列なれば、男たちの見物はおこと りしたいと申されまする」
「男たちに見せたくないと?」
秀吉はいぶかしげに小首を傾げて、
「フン、何しろ関白の政所じゃからの。顔をさらしものにしたくないと言う意味かも知れぬ。誰かに故事でも聞いたと見えるわ」
「また、僧侶も、男なれば見物の儀は・・・・」
そこまで言って長政は冷たい汗がタラタラとわき を流れてゆくのを覚えた。
同じ結果になっても意味は全然別であった。
(わしはみな事を曲げて話している・・・・)
秀吉は突然顔崩して笑いだした。
「アッハッハ・・・・それでわかった! そうか坊主ごもにも顔は見せぬか」
「恐れながら、どうおわかりなされましたので?」
「これはの、夫婦の仲の秘めごとじゃが、わしはやがて高麗こうらい から大明だいみん南蛮国なんばんこく まで手中におさめて見せると語って聞かせたことがある。寧々も女子じゃ。それほどの大人物の奥方ゆえ、たとえ上人しょうにん 僧正そうじょう なりとも、顔をさらしものにはせぬぞという、いかにもあれ・・ らしい見識けんしき じゃ。ハッハッハ、やはり良人を知るは妻に かず。ついに寧々も、わしの大志にふさわしい輪廓りんかく をそなえて来たわ。そうか。そう申したか・・・・」

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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