(やはりこれは、茶々姫の一件を根にもたれているのでは・・・・・) 長政はそうも考えてみたのだが、それだけのために、このようなことを言い出す
寧々とも受け取れなかった。ことに、僧侶には女犯の戒があるのに・・・・という一言は気にかかった。 寧々は決して切支丹信者ではない。しかし切支丹信者の信仰の純粋さには、充分美しさを感じている様子であった。 あるとき、そうした信仰のことにつき、大奥で一つの議論に花の咲いたことがあったそうな。 秀吉やお伽衆
を聞き役にして、 「── 神と仏と、切支丹のデウスとは、いずれが上位、いずれが下位であろうか・」 と、いうのが、その日の論題だったらしい。 その席に居合わせた小西行長の父寿徳は、 「──
それは申すまでもございませぬ」 と、デウスを推
した。デウスは絶対の存在で、他は人間のはかない希
いが描き出した偶像邪神にすぎないと。 ところがこの議論はすぐさま仏教信者の女たちに手きびしく反撃を受けた。 「── ではデウスだけが、どうして人間のはかない希いが描き出した邪神ではないという証拠があるのか」 どちらもその意味では観念の所産であって、区別はない。それゆえ、各自がどの神仏を信仰するかは自由で干渉
すべきものではない・・・・と、いうのが一座の結論に近かった。 秀吉はたえずニコニコと笑いながら聞いていたが、このときになって、おなじように口をつぐんで聞いていた
寧々に言った。 「── 政所よ。お身の意見は?」 寧々は豊な微笑をたたえたままで、 「── 決まったことをお訊きなさるものではござりませぬ」 と、答えた。 「──
決まったこと?」 「── はい。それは天照大神
を仰ぐ日本の神々に違いないではござりませぬか」 「── ほう、これは面白い。それをみなの納得するように説明できるか」 「── 出来まする。日の神はこの世界をお作りなされた。万物をこのゆにお生みなされてお育てなさる。人間も、仏も、天帝
もみな日の神のお生みなされたもの。それゆえ、神々の中にも産んだものと、産んで貰うたものの差がござりまする」 「── ほう、これは面白い!」 重ねて秀吉は問いかけた。 「──
では、こなたは何ゆえ、弥陀
に唱名 し、観世音
にぬかずくのじゃ」 「── ホホ・・・・それは人の子が、人間を産んで下された遠い祖先の神々より母親を懐かしむのと同じ気持からでござりまする。おわかりであろうか。仏にぬかずくもデウスに祈るも、そのずっと奥におわす天地を作られた日本の神々にむかずいているのじゃと。それゆえ、どの門からおがもうと、それは人それぞれの自由でよいのじゃ」 結論は信教の自由とおなじ所へ行き着くのだが、孝心までも信仰に連らなるものと言い切ったこの卓説には、さすがの寿徳も歯が立たなかったという・・・・ そうした寧々の思いがけない反撥だけに浅野長政は気が重かった。 彼は表へ戻って秀吉の前に出るまで、秀吉が、機嫌よくあってくれるようにとひそかに祈った。 (秀吉がもし不機嫌だったらどのような暴風雨になるか・・・・?) |