この日、寒気がつよい。 竜馬はまわた
の胴着に舶来棉の綿入れを着かさね、さらにそのうえに黒羽二重の羽織をひっかけて二階奥の間に出た。 二階は四間ある。奥八畳の間で中岡と対座した。 「熱で頭がくらくらする」 といいながら、中岡の話を聞いた。宮川処置の相談が終わると、新政府の官制についての用談になった。 角力の藤吉は二つの部屋をへだてた表の間で楊枝
けずりの内職をしている。 そのうち夜になったので藤吉は竜馬の部屋の行燈にに灯を入れた。 そこへ例の岡本健三郎が遊びに来て、両人の話を聞こうとした。ほとんど同時に菊屋の峰吉少年が入って来た。峰吉は中岡の使いで錦小路の薩摩屋敷に行き、その返事を貰って返って来たのである。 「峰吉っつぁん、腹がへった」 と竜馬は峰吉をかえりみ、軍鶏
を買って来い、と言った。 峰吉は威勢良く返事し、立ち上がった。それをしお
に岡本健三郎も返ろうとした。 「どこへゆく、また例の亀田屋か」 とからかうと、岡本は赤くなった。亀田屋とうのは河原町四条下ルの六神丸を売る薬屋で、ここにお高という評判の美人がいる。岡本はこのごろお高と恋仲になっていた。 「ちがいますよ」 と岡本は言い、峰吉と一緒に出た。峰吉は、四条小橋の
「鳥新」 走って、軍鶏を注文した。ここで三十分待たされた。 その間、運命が進行している。 数人の武士が、近江屋の軒下に立った。午後九時過ぎであった。刺客である。この刺客たちの名は維新後の取調べでほぼ判明するのだが、幕府の見廻組組頭佐々木唯三郎指揮の六人であった。 佐々木はひとりで土間に入り、二階へ大声で来意を告げた。 二階表の間
にに藤吉がいる。藤吉は削っていた楊枝を置き、階段を踏んで土間におりると、暗い土間に武士が一人立っていた。 「拙者は十
津 川
郷士 。坂本先生ご在宅ならばお目にかかりたい」 と、名刺を藤吉に渡した。十津
川 郷士
の何人かは竜馬と懇意だし、しかも相手は一人である。藤吉は疑わずにその名刺を持って階段を上ろうとした。 (いる) と刺客は見たであろう。事実、そう見た。佐々木はそのまま。 入れかわって今井信朗、渡辺一郎、高橋安次郎が藤吉のあとを追い、のぼりつめたところでいきなりうしその背を真二つに斬りさげた。 藤吉は叫び、刺客は叫けばせまいと思い、六太刀斬り、絶命させた。この間、数秒である。 二階奥では、竜馬と中岡とが向かい合っている。一枚の紙を真中にし、近視の竜馬は這うような姿勢でその紙片に見入っていた。 一間へだてたむこうで騒ぎが聞こえたが、竜馬は峰吉が帰って来たものと見た。峰吉は平素、藤吉にたわむれて角力の手を教えてもらったりしていたが、今もそうだと思ったのだろう。 這うように紙片に見入ったまま、 「ほたえなっ」 とどなった。土佐言葉では、騒ぐな、という意味である。 この声で刺客たちは討つべき相手の所在を知った。 電光のように彼らは走った。 奥の間に飛び込むなり、一人は竜馬の前額部を、一人は中岡の後頭部を斬撃した。この初太刀が、竜馬の致命傷になった。 撃たれてから、竜馬は事態を知った。が、平素剣を軽蔑し、不用心であいる。このため、手もとに刀がまかった。 刀は、床ノ間にある。 それを取ろうとした。脳漿
がながれているが、竜馬の体力はなお残されている。 |