〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/14 (水) 竜 馬 斃 る (一)

この日、寒気がつよい。
竜馬はまわた・・・ の胴着に舶来棉の綿入れを着かさね、さらにそのうえに黒羽二重の羽織をひっかけて二階奥の間に出た。
二階は四間ある。奥八畳の間で中岡と対座した。
「熱で頭がくらくらする」
といいながら、中岡の話を聞いた。宮川処置の相談が終わると、新政府の官制についての用談になった。
角力の藤吉は二つの部屋をへだてた表の間で楊枝ようじ けずりの内職をしている。
そのうち夜になったので藤吉は竜馬の部屋の行燈にに灯を入れた。
そこへ例の岡本健三郎が遊びに来て、両人の話を聞こうとした。ほとんど同時に菊屋の峰吉少年が入って来た。峰吉は中岡の使いで錦小路の薩摩屋敷に行き、その返事を貰って返って来たのである。
「峰吉っつぁん、腹がへった」
と竜馬は峰吉をかえりみ、軍鶏しゃも を買って来い、と言った。
峰吉は威勢良く返事し、立ち上がった。それをしお・・ に岡本健三郎も返ろうとした。
「どこへゆく、また例の亀田屋か」
とからかうと、岡本は赤くなった。亀田屋とうのは河原町四条下ルの六神丸を売る薬屋で、ここにお高という評判の美人がいる。岡本はこのごろお高と恋仲になっていた。
「ちがいますよ」
と岡本は言い、峰吉と一緒に出た。峰吉は、四条小橋の 「鳥新」 走って、軍鶏を注文した。ここで三十分待たされた。
その間、運命が進行している。
数人の武士が、近江屋の軒下に立った。午後九時過ぎであった。刺客である。この刺客たちの名は維新後の取調べでほぼ判明するのだが、幕府の見廻組組頭佐々木唯三郎指揮の六人であった。
佐々木はひとりで土間に入り、二階へ大声で来意を告げた。
二階表の にに藤吉がいる。藤吉は削っていた楊枝を置き、階段を踏んで土間におりると、暗い土間に武士が一人立っていた。
「拙者は がわ 郷士ごうし 。坂本先生ご在宅ならばお目にかかりたい」
と、名刺を藤吉に渡した。十津とつ がわ 郷士ごうし の何人かは竜馬と懇意だし、しかも相手は一人である。藤吉は疑わずにその名刺を持って階段を上ろうとした。
(いる)
と刺客は見たであろう。事実、そう見た。佐々木はそのまま。
入れかわって今井信朗、渡辺一郎、高橋安次郎が藤吉のあとを追い、のぼりつめたところでいきなりうしその背を真二つに斬りさげた。
藤吉は叫び、刺客は叫けばせまいと思い、六太刀斬り、絶命させた。この間、数秒である。
二階奥では、竜馬と中岡とが向かい合っている。一枚の紙を真中にし、近視の竜馬は這うような姿勢でその紙片に見入っていた。
一間へだてたむこうで騒ぎが聞こえたが、竜馬は峰吉が帰って来たものと見た。峰吉は平素、藤吉にたわむれて角力の手を教えてもらったりしていたが、今もそうだと思ったのだろう。
這うように紙片に見入ったまま、
「ほたえなっ」
とどなった。土佐言葉では、騒ぐな、という意味である。
この声で刺客たちは討つべき相手の所在を知った。
電光のように彼らは走った。
奥の間に飛び込むなり、一人は竜馬の前額部を、一人は中岡の後頭部を斬撃した。この初太刀が、竜馬の致命傷になった。
撃たれてから、竜馬は事態を知った。が、平素剣を軽蔑し、不用心であいる。このため、手もとに刀がまかった。
刀は、床ノ間にある。
それを取ろうとした。脳漿のうしょう がながれているが、竜馬の体力はなお残されている。

「竜馬がゆく (八)」 著:柴田遼太郎 発行所:文芸春秋 ヨリ

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