茶屋が知っている限りでは、家康も作左衛門も数正も、人質のことはやむを得ないこととして承知するよう肚を決めていたはずだった。 が、どうやら家中の硬論は、これを許さぬ模様になったらしい。 そう言えば、確かに、この論理には理があった。家康はどこまでも、今度の戦を信雄の戦として終始した。乞われるままに助けはしたが、平和は信雄の意志の任せて、あっさり兵を納めたことになっている。それが、人質を取られたのでは、信雄ともども秀吉に敗れたことになりそうだった。 もし家康が、義によって信雄を助け、平和はわれらのあずかり知らぬこととして、さっさと兵を撤したものならば、家康と秀吉の間は無勝敗。 改めて両者の提携を計るとあらば、秀吉の方からも人質に匹敵
する何ものかを家康に差し出すのが当然だった。 と言ってこれは表面上の理窟であって、数正にわからぬほどの事ではあるまい。 数正が、そのような事などよく承知のうえで、あえて人質のことを取り次がねばならなかったのは、秀吉に、 「──
こなた、家康の力とわしの力を同じだと思うておるのか」 あっさりと言われて押し切られたからに違いなかった。むろんそのことは家康自身もよく知っている。したがって、家中に硬論が出なければ、そのまままとまる可能性は充分にあったのだが・・・・ 「石川さま、するとお館さまも、その理に屈して、人質がならぬと・・・・」 「理には、お館さまならずとも服さねば相ならぬ。それゆえ、わしは、断りに出向くのじゃが・・・・」 茶屋四郎次郎は、ごくりと固く唾
をのんで身をのり出した。 「それで・・・・それで、私めに、何か役立つことはござりますまいか。人質を断られて、万一、双方また干戈
を取りましては・・・・秀吉どのにも大きな損かと・・・・」 「そのことじゃ!」 「はいッ」 「こなたは商人、損と得とはよく分ろう。秀吉どのにそのあたりの算盤を、伝える手づるが欲しいものじゃ」 「それはもう・・・・して、石川さまの最後の肚は・・・・と、うかがうは、あまりに出過ぎておりましょうか」 数正は眼をそらして燭台の丁子
を除 った。パッとあたりが明るくなって、火桶
の灰の白さが目立って来た。 「最後はのう茶屋、何もかもみな捨てる気じゃ。わしも作左も・・・・」 「恐れ入りました。お察し申し上げまする」 「秀吉どのが何というか。わしに一つの案はあるが・・・・」 「どのような案でござりましょう」 「秀吉どのには実子がない」 「そのとおりで・・・・」 「それゆえ、於義
丸 さまを養子に貰うていただくのじゃ。人質では断じてない!
そのご養子に、わしの子と作左が子とをつけてやる・・・・これが通れば、織田、徳川のあいだ同様、両家のあいだは親類じゃ」 そう言ってから数正は、 「これが通らずば、家中を押える力はわしなはない。切腹じゃ。大坂城の襖絵
に、数正が腸 で、三河者の絵を描くまでじゃ」 と、きびしく笑った。
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