取り次ぎに出た若侍は、いかにもいそいそとして引っ込んだが、予期に反して、なかなか戻って来なかった。 茶屋はちょっと首を傾
げた。 自分がわざわざ立ち寄ったとなったら、あるいは自身で出迎えてくれるのでは・・・・それほど今は淋しい孤立に追い込まれているはずの数正と、予期して来たのに意外であった。 やがて若侍は戻って来て、 「ほんのしばらくならば、お目にかかると、かように申されておりまするが」 長居は無用に願いたいと、露骨に伏線を張った感じの挨拶
だった。 茶屋は首を傾けたまま、 「それはもう・・・・御用繁多
と存知ながら、京へ参りますると、いつまた、お目にかかれるやら分りませぬ。それでちょっとお顔を拝して参りたいと存じまして」 二人の手代を供待ちに残して洗足
をとって玄関へ向かった。 「伯耆守さまは、ご機嫌にわたらせましょうな」 書院にわたる廊下でもう一度案内の若侍にたずねると、 「は・・・・はい」 若侍はちょっと口ごもってから、 「何分、ご心労が・・・・」 と、また語尾を濁していった。 あるいは数正に叱られて来たのかも知れない。 書院に通ると数正はすでに燭台を運ばせて待っていた。 (痩せた!) と茶屋は思った。きわ立った頬骨が不機嫌な翳
をきざみ、正座した肩まで尖
って眼に映った。 「これは、ご多用中、ご無礼申し上げまして」 言いながら両手をつくと、 「何用じゃ。おことにはもはや、お暇が出たそうな。さすれば家中の者ではなく、朋輩
でもないわ。わざわざ立ち寄られるのは律儀
すぎる」 数正は、近づき難いとがり声でそう言って、 「みな、退ってよいゾ」 と、二人の若侍を叱りつけた。 若侍よりも、茶屋の方がびっくりした。心外でもあった。つい先ごろまで、共に家康の側
で枢機 にあずかった仲であり、自分が何のために牢人し、何のために商人になりきろうとしているかも、よく知っているはずの数正ではなかったか・・・・ 若侍がさがっていっても、しばらく数正は茶屋を見なかった。 「石川さま、心労のほど、お察し申し上げまする」 「無用に願いたい!」 「は・・・・?」 「石川数正、商人になったこなたに、同情されて喜ぶほど弱くはない」 茶屋は思わず息をのんで数正を見つめた。 数正がこのような事を言うのは、茶屋の想像以上に周囲に風が冷たく当たっている証拠なのだと受け取った。 「念のために申しておこう。いま、この数正のもとを訪
れる者の上には、誰彼の別なく家中の目が光っている」 「えッ、あの訪れる者の上に・・・・」 「律儀すぎて怪しまれ、生命を落としてはつまるまい。ことにこなたは京におもむく身・・・・京は秀吉が勢力下とは思わぬのか」 言われて茶屋は、はじめてハッと腑におちた。 (数正は、この茶屋の身を案じているのだ・・・・)
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