常軌
を逸した人間の行動・・・・と言っても戦場では決して珍しいものではなかった。遭遇戦の場合は十中七までは逆上するのが通例で、これがもし半数にとどまったら、大勝を博するか、退廃を喫するかだと言われている。 理性は、相手の隙
をよく見出すと同時に、恐怖感をも倍加する。したがって、適度に逆上させ、適度に落ち着かせるのが用兵の妙なのだ。 秀吉は、味方が本多勢と打ち合うのを、あえて止めはしなかったが、停まらせもしなかった。 「面白い奴じゃの、平八という奴は」 彼は絶えず馬を急がせながらときどき大声で笑った。 「しかし、家康はよい家来を持ったものよ、生命を投げ出して、われらの進出を遅れさせようとしている。あやつ、いまに、わしが家来にしてくれよう。殺すな殺すな」 この言葉は、逆上しかけている味方を、危ういところで引きとめて、ついに戦場は長久手に近くなった。 このころ池田勢は、紀伊守元助もまた安藤彦兵衛直次に首を討たれて、わずかに生き残った輝政を擁
して、その士卒は士段味
、水野、篠木、柏井方面へ潰走中で、時刻はすでに正午をすぎていた。 本多平八郎忠勝は、しだいに冷静さを取り戻した。 自分を相手にしない秀吉の急行が、何を意味するかが分ってきたのだ。 (秀吉め、ただ一筋に殿との決戦を求めている・・・・) そうなれば、忠勝もまた道草など喰っていられる場合ではなかった。 少しも早く家康の本隊に合して、秀吉の大軍を迎え撃たなければならない。 「ようし、先に廻って、待ち伏せしてやる。鹿の餌食
を覚悟のうえで、ゆるゆるとやって来いッ」 忠勝は悪罵を投げて、真昼の陽の下で、ぐんぐん秀吉勢をぬき出した。 せいぜい五百騎あまりのこととて、その進退は軽捷
だった。 秀吉はいぜん相手にならず、矢田川をわたり草掛
をすぎて、ついに本多勢を見失った。 銃声はしだいに少なくなり、重なりあった四囲の緑に、うららかな晩春の陽が嘘のように静かにあたっている・・・・ (これはおかしい・・・・) 秀吉が、小首をかしげだしたのは九ツ半
(午後一時) 。 すでに長久手へ着いているのに、どこにも敵らしいものの姿が見えなかったからであった。 (これはあの鹿めに一杯食わされたかも知れぬ・・・・) 本多忠勝が、あのふしぎな挑み方で、わざわざ自分を長久手へ誘い出したのではあるまいか?
という疑念であった。 もしそうだったら、家康は、その間に池田勢を追って、秀吉とは逆に小牧の方向へ、退くと見せて進んでいったことになる。 (もし留守を衝かれたら、どうなろうか?) 知略に長
けた秀吉だけに、一度疑念が湧きあがると、それはそのまま自分を縛
る縄 になった。 彼は、稲葉一鉄を声高
に呼んで、性急に敵状の偵察を命じていった。 |