竜泉寺へ着くまでに秀吉はなだ長久手の味方の敗戦を知らなかった。 家康の出発が、予想以上に早かったと言うことで、この戦の前途へ危惧
は感じだしていたが、しかし、負けるなどとは思っていなかった。 もともと彼の辞書に敗れなどという文字はない。 「茂助! 末安!」 竜泉寺ににあって命令一下を待っている堀尾の陣地に近づくと、 「今日の戦は、利を失うやも知れぬぞ。急げや・・・・」 悪童のように怒鳴り立てながら馬を降りて、はじめてそこで味方の敗戦を知らされたのであった。 「すると勝入は岩崎城などを攻めていたのか」 「はい、そのうえで、首実験をやっておったと申します」 「はィあ!」 と、秀吉は、肺腑
から絞 るような奇声まじりの吐息をもらした。 何もかも計算ずくめで、これから一挙に家康勢を混乱させるつもりの策戦が、味方の救援という、別の意味の出兵になってしまった。 「あのお人好しがッ!」 秀吉は吐き出すように言って膝を叩いた。 「あれほど言ってあったのに、まだ岩崎城など・・・・」 勝入がぐんぐん進んでいさえすれば、家康もそれを追って、充分決戦は伸ばせたのだ・・・・そう思うと、肚の底から腹が立った。 が、すぐ次の瞬間には、そうした感情にこだわることは、百害あって一利のない事を悟った。 「その勝入を出してやったのはこの秀吉じゃ。よし、勝入を救いながら叩け家康を・・・・徹底みじんに叩きつぶせ」 さらりと心の方向を転換し、それに向かってすぐに全力を打ち込めるのが秀吉だった。その意味では秀吉の気分転換は、さながら名人の剣の変化によく似ている。 ここで秀吉はまず、堀尾、一柳、木村の三隊を長久手へ急行させ、これを池田勢救援に当たらせておいて、みずからは家康攻撃勢として出発した。 その総勢は三万八千。 敗戦を、そのまま勝利にみちびかなければ止
まない秀吉の性格と気性であった。 「何はともあれ、家康の旗本を引きつつめ。包んだうえで一人も余すな。敵はもう戦い疲れているが、味方は新手
なのじゃ」 そのころに ── 家康の留守を預かっている小牧山の本陣では、石川数正と酒井忠次、それに猛将本多忠勝の三人が、口を尖
らして激論の最中だった。 「では、それがしの意見には従われぬと言われるのか」 「従わぬとは言わぬ。が、考え落ちがあるというのじゃ」 猛
り立っている本多平八郎忠勝に、石川伯耆守
数正は、苦り切った表情で相対していた。 酒井忠次は、ときどき舌打ちしながら、等分に二人を睨みまわしている。 いずれも兜だけは着けていなかったが、厳重な武装をしていて、何か言うたびに床几がきしんだ。 「なに、おれの考えに、考え落ちがあると。こいつは聞き捨てならぬ。どこが足りぬ。さあ言え数正!」
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